2016年11月号(第62巻11号)

〇色づいた木々の葉が、冷たくなった秋風にさらされ一斉になびいている。真っ青に澄んだ空をバックに、あちらでは黄色、こちらでは赤と、南の海を泳ぐ小魚のようにも見え、ただ町を歩くのも楽しい。 長年慣れ親しんだ四季の移ろいとは少し違ってきているところもあるが、今年も秋の終わりを色とりどりに美しく飾って、私たちに豊かな時間をくれた自然の営みに感謝したい。
〇秋は気温も湿度も丁度よく、じっくりと物事に取り組むにはよい季節である。
「〇〇の秋」として、秋に関連づけられるものにはそれぞれに理由があって、日の入りも早くなったので秋 の夜長に「読書」にいそしんではどうか、夏バテが徐々に回復して「食欲」も出てくるので、ちょうど実りの季節を迎えた作物を食べ、やがて来る厳しい季節に備えてエネルギーを蓄えてはどうか、と「今の季節にやらないと損をするよ」と背中を押してくれている。
〇「芸術の秋」という言葉では、秋には恒例となっている有名な美術展が多く開催されることが由来とされ、当初は「美術の秋」といわれていたそうである。日ごろ美術館にあまり行かない方も、この言葉がきっかけとなって、足を伸ばす方もあるのではないだろうか。
〇この秋の最後に「芸術の秋」に触れるべく、ある写真展に足を伸ばした。この「写真展」は勿論、本誌表紙を素敵な写真で飾ってくださっている水地先生のグループ展である。この写真展については今月号のエッセイ欄で紹介してくださっている。
写真展の会場は表参道。華やいだ表通りから少し入った小道に会場を見つけて中に入ると、順路のはじめに飾られている水地先生の作品の前でしばらく釘付けになった。写真は、外の華やいだ世界からいきなりタイムスリップしてしまったような昭和の香り漂う日常の一場面。鶴見線のとある高架駅周りで撮影されたようで、現代の風景を特別なセンスで切り取ると、こんなに懐かしい景色がまだ残っているのだと大変驚いた。
歳をとってきたせいか、昭和の時代に思いを馳せることが多くなったこの頃、芸術と、思いがけず昭和の懐かしさに触れ、日ごろの生活とは一線を画す素敵な時間を過ごして帰路に着いた。

(大森圭子)