2019年10月号(第65巻10号)

〇日によって、まばゆい日光とは裏腹に冷え込んだ朝を迎える季節になった。この時期、空一面を覆うひつじ雲やうろこ雲にも秋の深まりが感じられる。同じように思えるこの二つの雲には違いがあり、うろこ雲はひつじ雲より高い位置にでき、雲の一つ一つが小さい。ひつじ雲はそれより低い位置にでき、雲の一つ一つが大きい。夜になり、紺色の空にブルーグレイのひつじ雲が浮かぶ風景は、冷え込みに辟易した夜空がとてつもなく大きなセーターを着こんでいるようにも見え、そろそろ衣替えをしなくては、と思い立たせてくれた。
〇衣替えといえば、久しぶりに出してきた服を、今の体型に合っているか恐る恐る着てみては、鏡の前に立つ機会も増える。
ギリシャ神話に登場する美少年ナルキッソスは、自分に思いを寄せる妖精をひどい振り方で傷つけたことから神を怒らせ、自分にしか思いを寄せることができなくなる。湖面に自分の姿を映しては思いを寄せ、実らぬ思いにやつれ死んだとも、自分の姿に身を寄せ湖面に落ちて死んだともいわれる。鏡の始まりはこのように水であって、古く人は、水たまりや鉢に水をためた「水鏡」に姿を映していた。鏡の意味をもつ「鑑」という漢字のつくりは、目と人がかがんだ姿、鉢にためた水の3つの形からできている。
水鏡ののち、金属や石を磨いた鏡が作られる。前漢時代に中国から銅製の鏡が日本に入ってくると神聖化され、数々の信仰の対象になった。古くから、長く鏡を使わないときに布を被せていたのは、傷や破損を防ぐほかに畏怖の念を与える存在であった歴史を物語る。今でも、置き場所によって吉凶が変わるとか、他人の鏡にはその人の災いが宿るのでもらい受けてはいけない、鏡を捨てる時には花を映すか塩水で拭くなどの言い伝えもある。
〇薄霜の眉毛も白む鏡とぎ(万井)
金属製の鏡は、時間が経てば曇りが生ずるので、江戸時代の末ごろには、鏡磨(かがみとぎ)を生業とする物売りが町をうねり歩き、「すずかねのしやり」というものに水銀と砥粉をといたものを使い、鏡を磨いていたそうである。
今やガラス製の鏡は多少ほっておいても見えなくなることはない反面、容赦なくありのままの姿を映し出す。ことわざに「殷鑑遠からず」といって、戒めとなる手本は身近にあると説いているが、痩せて見えるように出来ている試着室の「痩せ鏡」とは違い、まさに家の鏡はお世辞を言わず戒めてくれる家族のよう。家の姿見から無言のお叱りを受け、平然と姿見をのぞけるスタイルになりたいと思うこの頃である。

(大森圭子)