2019年6月号(第65巻6号)

〇毎日の天気予報に一喜一憂する梅雨の季節になった。
江戸時代末期の人々の暮らしなどを書き記した『江戸府内絵本風俗往来』(菊池貴一郎)には復刻版があり、さらにこの新装版が青蛙房より出版されている。この中の一文から、当時の人々の梅雨時の暮らしを垣間見ることができる。「梅雨(ばいう)は陰晴定(いんせいさだ)まることなく衣類(いるゐ)の洗濯物(せんたくもの)を干(ほ)すかとすれば又雨降出(またあめふりいだ)す傘(からかさ)の干(かは)けることなく濕氣(しっき)に堪(た)かね焚物(たきもの)をふすべて濕氣(しっき)を佛(はら)ふ...」。
洗濯物を干そうとすれば雨が降り出し、傘も乾かず、湿気に悩まされる苦労は昔も今も変わらない。もしも江戸時代にタイムスリップしたとしても、当時の皆さんと話が合いそうだ。
しかし、湿気対策には焚物をして洗濯物や傘をいぶしていたとは、非常に危なげな行為で不安に思わずにはいられない。
〇「火事と喧嘩は江戸の華」といわれるほど、江戸の町はたびたび大火に見舞われた。火事の原因は、調理や照明の火の不始末や放火が主な原因であったそうだ。江戸時代に最大の被害を出した「明暦の大火」では、出火原因に様々な説があるようだが、一説では、本郷丸山本妙寺に納められた、病で死んだ娘の振袖を、ここの住職が古着屋に売ると、この娘の命日にまた別の娘の葬儀で同じ振袖が納められ、住職がまたこの振袖を古着屋に売ると、初めの娘の命日にまた別の娘の葬儀で同じ振袖が戻ってきた。怖くなった住職がこの振袖を燃やしたところ、火のついた振袖がひとがたさながらに宙に舞い上がり、寺の軒先に火が燃え移ったとされる。これが「振袖火事」や「丸山火事」と呼ばれる由縁だそうである。また、お七という娘が、恋焦がれる寺男に会いたさから放火をした八百屋お七の火事(天和の大火)は誰もが知るところである。
〇江戸の町では、木造の商店や長屋が密集した町並みのせいで、火はたちまち広範囲に及んだそうなので、「焚物(たきもの)をふすべて濕氣(しっき)を佛(はら)ふ」行為から起こった大火事もあったのでは?と心配したが、江戸時代の大火は9月から3月にかけて起こっており、冬から春先にかけて関東平野に吹く乾燥したからっ風にも大きな原因があり、梅雨時には大火は無かったようである。
いまでは、梅雨時の湿気で洗濯物が乾かなくても、焚物でいぶそうとは思わないが、便利で安全と思われる乾燥機でも、食用油や美容油、機械油などが付着した衣類やタオルでは、油の発熱と乾燥機の熱が相俟って火災が起こることがあるという。便利になった世の中でも、衣類の乾燥では注意が必要なのである。

(大森圭子)