2018年2月号(第64巻2号)

〇弱い光に包まれる朝の駅へと向かう道で、雀たちのにぎやかな囀りに心を惹かれた。歩みをゆるめ目をやると、先を急ぐ人は誰も目を向けることのない空き地の片隅に立派な梅の木があり、枝いっぱいに白梅を咲かせていた。目を凝らすと、冬の間、どこに隠れていたのか、沢山の雀がばら撒かれたように枝のあちこちに陣取って、ひっきりなしに囀っている。春の訪れがよほど嬉しいのだろう。
気がつけば今年も一等先に梅の花が咲いて、まだ冬の眠りから目覚めていない寂しげな景色に紅白のいろどりを添えている。
厳しい冬を耐え抜く辛さと、やがては春を迎える希望、喜び。四季のある日本に生まれてこその感動はどこか人生にも似て、心を豊かに育んでくれるように感じられる。
〇古くから12月8日と2月8日は「事八日」といって、12月8日は事納め、2月8日は「事始め」の日とされている。
休みを終えて裁縫を始める2月8日には「針供養」という行事が行われるそうで、この日に針は使わず、日ごろお世話になっている裁縫道具に感謝の気持ちを示し、また技術の上達を願って、1年間使って折れたり、錆びたり、曲がったりして使えなくなった縫い針を供養するのである。地域によって縫い針を神社に納めるもの、縁の下に投げ入れるもの、豆腐、コンニャク、土などに針を刺すなど色々な風習がある。

「色さめし 針山並ぶ 供養かな」 高浜虚子

物が溢れ、「使い捨て」を売りにするものまでもが溢れかえる時代。お世話になっている道具への感謝はつい忘れがちであるが、こんな小さな物忘れが重なると、何者へも感謝の気持ちが薄れていきそうである。
自分のために働いてくたびれた縫い針の労に感謝し、最後にコンニャクや豆腐などの柔らかいものに刺して楽をさせてあげよう、という先人の優しい気持ちが、針のように心に刺さるこのごろの反省である。

(大森圭子)