2017年7月号(第63巻7号)

〇梅雨も明け、そろそろ夏休みムードが漂う頃である。私が子供の時分はまだ、夏休みはひたすら楽しいもので、人目につくところにちっとも秘密になっていない秘密基地を作ったり、虫取りをしたり、お人形ごっこに明け暮れた。一方、ドリル、絵日記、工作などの沢山の宿題が重く、悩みのタネだった。
絵日記は、幼い子どもが日々の経験をただ話して伝えることの次に、絵に描いて伝えるようになり、続いて絵に文章を添えて伝え、やがて文章のみで伝えられるようにするためのステップの途中の役割なのだそうだ。 子どもが文の表現を学ぶための有効な手段とされ、大正時代からこの試みが始まったそうである。絵日記は他にも、日々の生活への指導や絵に対する指導にも活用できる一石三鳥の優れた教育手段なのである。そんなこととは露知らず、絵日記の宿題を溜め込んで、日々あったこともお天気も皆忘れてしまい、家族で頭を悩ませたことも懐かしい夏休みの思い出である。今は記録の手段も豊富でこんなお粗末はないと思われるが、それも少し寂しいように思ってしまうのは私だけだろうか。
〇夏休みの由来は「藪入り」ではないかといわれる。「藪入り」は「宿入り」や「宿下り」ともいわれ、盆と正月に奉公人が休暇をもらい主に家に帰ること、またはその休日を指す言葉である。

奉公人は主人や内儀に新しい着物や小物を揃えてもらい、小遣いをもらって両親の元に帰ったり、参拝や芝居を見るなど、思い思いに過ごしていたようである。しかし「藪入り」の語源には、「宿入り」が転訛したという説のほかに、奉公人は町から草深い村に帰るからだとか、身寄りのない者や田舎が遠い者は行くところが無く、藪にでも居るしかないからなど、胸の痛む言い伝えもある。
まだ前髪を下ろした幼い小僧が、朝早く主家を出て両親の元に戻り、親の優しさに甘えたのも束の間、夕飯のあとにはまた主家に戻らなくてはならない。親も子もどんな気持ちであったろうか。
現代の勤め人もまた、数日の休暇ののちの出勤は少々辛いものがあるが、当時の小僧さんの辛さとは比べ物にはならないであろう。

(大森圭子)