2017年1月号(第63巻1号)

〇昨年中は本誌へのご支援をたまわり、誠に有難うございました。
本年もよろしくお願い申し上げます。
〇我が家のある辺りでは、明治初期から続く祭囃子を受け継ぎ、毎年元日に、獅子、おかめ、ひょっとこを引き連れお囃子連がやってくる。室町時代から始まったという獅子舞の風習、ピーヒャラピーヒャラ、トントントンと笛・太鼓の小気味好いお囃子が遠くからだんだん近づいてくると、福がやってきたように感じられ気持ちが華やぐのは、古の時代に刻み込まれた幸せな正月の記憶だろうか。
〇獅子舞には「二人立」と「一人立」の二種類があり、「二人立」は6世紀半ば~7世紀にかけて中国から伎楽とともに伝来したもの、「一人立」は日本固有のものとの説があり、「二人立」は西日本を中心に全国広まり、「一人立」は関東、東北地方に多くみられるようである。毎年、縁起を担いで、獅子舞のカタカタいう歯の間に頭を差し出して噛んでもらうのだが、これには「噛み付く=神付く」の意味や、獅子に邪気を食べてもらう意味があるそうだ。
〇獅子のお供の一人「おかめ」は、「おふく」、「おたふく」などの異名をもつ。「おかめ」は膨らんだ甕の形からついたともいわれる。また、「おふく」「おたふく」の「ふく」は、「ふぐ」と同様に膨らんだものを意味するとの説もあり、ふくよかな顔立ちからこの名が付いたともいわれる。不幸なことに、醜女や下女などさんざんな役回りとされることも多いが、「お多福」とも書かれるように、縁起のよいものとしても位置づけされている。「おかめ」のお相手は「ひょっとこ」とばかり思っていたら、室町時代に行われた新春を祝う芸能「大黒舞」では、大黒天、えびすとともに「おふく」が登場したそうで、時を経て「おかめ」と名乗るようになってからは「ひょっとこ」のお相手もするようになったようである。
〇お供のもう一人「ひょっとこ」の語源にも諸説あるが、竈に火を熾すために竹筒を口にくわえ、風を吹き込む「火男」が訛ったともいわれる。また、民話にはこのような話がある。ある爺が山へ柴刈りに行くと、ぽっかりあいた大きな穴を見つける。こんなところに悪いものが棲みついてはいけないと柴を入れて塞ぐのだが、来る日も来る日も柴が無くなっている。そんなある日、突如現れた美女に導かれ、穴の中の立派な屋敷にたどり着いてみると、屋敷には翁が居り、柴を貰った御礼にと歓待を受ける。帰る折、おかしな顔をした童をあずかるが、家に連れ帰ってみると、この子の臍から金の欠片が出て、爺の暮らしは忽ち豊かになった。しかし、欲深い婆がもっと金を出そうと臍をつつきその子は死んでしまう。ある日、悲しむ爺の夢枕にこの子が立ち、自分の顔に似た面を作り竈にかけておけば家は豊かになると告げる。
どこか「浦島太郎」や「竹取物語」、イソップ寓話の「ガチョウと黄金の卵」に似た物語であるが、この手の話には、日常では起こり得ないことに出会ったときにうつろう人の心の弱さ、人の良い面、悪い面が描かれ、面白味とともに物悲しさが漂っているところも同じである。
この臍から金を出す子の名前が「ひょうろく」であり、これが訛って「ひょっとこ」になったという説がある。すぼまった口、左右非対称な眼、ほっかむり、どうみても三枚目のこの男性は道化の役回りであるが、この民話に柴や竈が登場するところをみると、竈に関わる火の神様にも関係が深く、家を豊かにする有難い存在のようである。

「おかめ」「ひょっとこ」の福をもたらす力にみるように、人は見かけによらぬもの。人に限らず何事も、見かけや先入観にとらわれず、自分の強さを信じて、新しいことに一歩踏み入れる勇気を忘れずにいたいものである。
〇今年一年、嬉しいことが沢山ありますように、皆様のご多幸とご健康をお祈り申し上げます。

(大森圭子)