2017年1月号(第63巻1号)

二人のドクター

国家公務員共済連合会 横浜南共済病院 臨床検査科 部長
岡部 紘明

Doctorは医師及び博士号保持者と思っていたら、モダンメディア62巻8号で登先生の随筆doctorは医者じゃない?を拝読。言葉の意味は時代や地域により変化し、異なる意味になることを知らされましたが、違う立場でのdoctor(以下DR)を思いついたので、筆を置いてみました。大体不勉強な私、DRに動詞があるのを知らなかった。1700年前半にはDRには治療するという意味、半世紀後には、改変する、隠す、偽造するなどの意味も加わり、最近はDR論文の改ざんの問題がメデイアで大きく取り上げられ、将来の言葉の変化に危惧している。私は、40年位昔、ある老人病院の研究検査部に勤務していた。検査部には、しばしば若手医師が来て話すことがあるが、ある日のボヤキ、“ 毎日年寄りばかり見ていて面白くない、死んでゆく患者ばかり、治る見込みのある患者がいないので勉強にならない”と。しかし、“このような病院はこれからの日本に必要になりますよ”と私。ラテン語ではdoceo(ドケオ)がdoctorの語源「教える」、「治療する」などの意味だが、-torがつくと、教える資格のある者、治療する人になるとの事。古代エジプトでは、病は精霊や呪いによるもので、DRは呪術師、神官であり、同時にカウンセラー、患者は約束された人生を終え、死者の国へ旅立つとき、恐怖を取り除くために、宗教的カウンセリングを受けたという。医療が発達した現代、死んだあとの行先が分からないよりは、良かったかもしれない。近世のDRは「疾患」と「病い」を区別するようになった。「医療の質の善し悪しは、医療の専門家が判断するもの」という傲慢さから、医療専門職集団を作り、医師の公的免許制で、医業を独占してきた。近年の疾病構造の変化、臓器移植や遺伝子治療など高度な延命救命技術が、生命を延長している。事故や急性疾患、治療を中止して疼痛緩和だけを行う人、尊厳をもって生抜きたいという障害者や難病患者にとって、治療を断念した段階から、DRは単なる医療専門技術者に過ぎなくなる。専門職としてのDRは最新医学の研究を進めている間に、救命医学から終末期医療に至る看取りの医学には、ホスピス、ビハーラ病棟や全人的ケアを施す病院が出現してきた。そこでは、チャプレン、教戒師や臨床宗教師等の宗教家が、患者の死後の不安を神や仏に救いを求めるスピリチュアルケアを行い、患者に生きる力を取り戻す援助している。高齢化社会とはいえ、何れ我々は、死を迎える。最先端医療を待ち侘びている患者に、もう少し長生きをすれば、新しい治療を受けられる時代が来るかもしれないという夢を持たせて生きることは、終末期の患者とそれを看取る人々の心を温めることになる。「患者を看取り、死にゆく人の力になる事もDRが行うべき」ではないのか?研究と治療、疾患と病い、二つのDRの役目を一人でこなすには、忙しすぎるのだろうか。