2016年5月号(第62巻5号)

〇本号から「グローバル化時代の医療・検査事情」欄で「元・大使館付医務官の独り言」の新しい連載が始まりました。18年にわたり海外で大使館付医務官を勤められた吉田定信先生に、八回にわたって思い出に残るエピソードをご紹介いただきます。
今回は「ナイジェリアで山口惠三教授と出会う」のタイトルで、本シリーズの掲載をご提案くださった山口惠三先生とのナイジェリアでのエピソードなどをご紹介いただいています。どうぞご期待ください。
〇明るくなった陽射しに誘われるように木々から一斉に新芽が吹き出した。私たちと同じ世に生きることになった新米の葉っぱ達はまだ小さく柔らかいが、気まぐれに吹き荒れる春風に煽られても、自分が生きる場所はここといいたげに細い枝の先で踏ん張っている。その姿は、この春から新しい環境に身を置いて頑張っている若い人達の姿にも重なり頼もしく思うのである。
〇だんだんと気温が上がり汗ばむような日もあるが、気温変動が激しいので油断はできない。服装などで調整しやすい日中はまだ良いが、夜中には肌寒さを我慢して眠りについたり、寝ながら汗をかくこともあって、調整が難しい。
眠っている間に体や顔にかく汗のことを「寝汗」という。季節にあわない寝具や寝室の温度や湿度によるもの、またこれとは別に寝汗がひどい場合には、ストレス、アルコール、ホルモンバランスや病気が原因ということもあり注意が必要である。またエアコンをつけっぱなしにすると体温調節ができず自律神経が乱れる恐れもあるので、タイマーなどでこまめに管理を行う必要がある。
漢方医学の言葉では「寝汗」のことを「盗汗」という。「目を盗んでこっそり汗が出てくる」ことや「汗によって体から水分が盗まれる」という意味である。
「盗」という字は「冫(元は?)」「欠」「皿」の3つの要素から出来ているが、「冫(?)」は涎よだれ、「欠」は人、「皿」はそのまま「皿」の意味で、皿の上で人が涎を流している状態の象形文字である。このときの欲望、つまり皿の上のものを取りたいとの思いを表している。人から取ってでも欲しいものの代表はやはり食べ物ということだろうか。
「渇しても盗泉の水を飲まず」という諺がある。「盗泉」は中国にある泉の名で、孔子がこの名を嫌い、どんなに喉が渇いても泉の水を飲まなかったとの故事から、困窮しても道理を外れたことには手を出さないという意味を持っている。
いくらおなかがすいていても、人の目をごまかして皿の物に手を出してはだめなのである。

(大森圭子)