2016年5月号(第62巻5号)

解体新書との3度の出合い

帝京大学名誉教授
山口 英世

今年も花見客で賑わう3月下旬某日の昼下り、駒込の東洋文庫ミュージアムを訪ねた。解体新書展が開かれていると聞いて矢も盾もたまらなくなったからである。私にとってこの有名な解剖書との対面は、これで3度目になる。
発端は10年前に遡る。2006年の初夏の頃、東京大学総合図書館から思いもかけないメールが届いた。その年の11月に「土肥慶蔵の医学関係資料とその時代―鶚軒文庫を中心として」と題する特別展示を開催することになったのでぜひ協力して欲しいという依頼であった。わが国の皮膚科学の草分けとなった土肥慶蔵の高名は私も承知していた。土肥先生は1989年(明治26年)に東大医学部に新設された皮膚科梅毒学講座の初代教授として日本皮膚科学会を創立するなどわが国斯学の基礎を築く一方、漢詩文を能くして鶚軒と号し、森鴎外をはじめ多くの文人と親交を結んだことは有名な話しである。しかし土肥教授が収集した膨大な数の古医学書が鶚軒文庫の名で東大総合図書館に所蔵されているとはつゆいささかも知らなかった。医学史の専門家でもない私に何ができるかまったく自信はなかったが、門外不出の稀観本に直かに触れられるまたとないチャンスとばかり大胆にもお手伝いを引き受けることにした。
この選択は予想以上の大当りだった。選ばれた50点を超す展示書籍のなかに私が小学生時代からその名を耳にし一度はぜひこの眼で見てみたいと願っていた解体新書(初版本、1774年刊行)が含まれていたのである。日本の医学の発展に大きく貢献したこの歴史的医学書の実物を手にした時の感動は今も忘れることができない。
解体新書との2回目の出合いは、まさしく偶然の出来事であった。東大図書館の展示から5年ほど経った年の春、桜見物のため秋田県角館の武家屋敷通りを訪れた。見事なしだれ桜に彩られた風情ある町並みをそぞろ歩きしているうちに、表札に青柳家とある広く豪華な武家屋敷に何気なく立寄った。驚いたことに、その家の展示コーナーに何と解体新書の初版本が飾られているではないか。見覚えのあるアダムとイブの扉絵を見た時はわれとわが目を疑ったほどである。この扉絵をはじめ解体新書のすべての解剖図譜を見事な西洋画法で模写した画家小田野直武がここ角館生まれの秋田藩士であったことをこの時想い出した。事実、彼が出た小田野家の家敷も武家屋敷通りに残っている。予想もしなかった大きな僥倖に恵まれた花見となったのである。
さらに何年かの歳月を経て、今回3度目の解体新書との邂逅(かいこう)を果し、満足感にひたりながら東洋文庫を後にした。帰りがけに立ち寄った1つ先の通りの六義園では、有名な内庭大門のしだれ桜が丁度見頃を迎えていた。大勢の花見客に混ざってそれを眺めているうちに、いつしか角館武家屋敷通りの懐かしい景色が脳裏に甦った。