2015年5月号(第61巻5号)

〇春まだ浅い時期の、薄衣を纏うようなほのかなあたたかさに、ゆるやかな季節の変化を楽しんでいたところ、忽ちのうちに日差しさは強さを増し、東京では早々と夏のような強い日差しが照りつけることの多い5月となった。
臨機応変に、T-シャツ、素足、サンダル、日傘といった夏さながらのスタイルに変身する人の姿を見ても違和感は感じられず、そのうちに「季節感」という言葉の定義もあやふやになってしまうかも知れないと思いつつ、暑がりの私は、皆より少し早く半袖になった。
〇ひと昔前まで、「日傘」というと夏の風物詩のように思っていたが、この頃では早々と街角に現れる。「紫外線」「UV」対策などという言葉がまだあまり聞かれないような古い時代には、日傘というと、紫外線というより暑さを緩和するために「日陰を連れて歩ける便利な道具」というイメージであった。しかし、紫外線対策が重要視される近年では、急激に紫外線が強まる3月頃からすでに対策が必要ともいわれ、とくに美容に敏感な女性の間では、年間で紫外線が最も強い6月から8月頃までの間は、ローションなどの日焼止めに加え日傘は必需品となっている。
〇「かさ」には、直接頭に着装する「かぶりがさ」と長柄が装置された「さしがさ」の二つがある。漢字で書くと前者が「笠」、後者が「傘」である。
「笠」の漢字のなかの「立」は人が立っている姿を表し、その上の「竹」は竹製の被り物を表しているといわれる。また「傘」の4つの「人」の文字はかさの骨を表し、全体はかさを開いたときの形を表しているといわれる。
これらの象形文字からもその違いは明らかである。
〇奈良・平安時代には、笠地蔵がかぶっているあの「菅すげ笠」の大きなものに都度長い柄を付けて、高貴な人に差しかけて使う「柄菅笠」があり、これと中国から渡来した天蓋式絹傘が合わさって変化を遂げ、和傘ができたといわれている。
平安時代に清少納言が記したとされる随筆集「枕草紙」には
「雪高う降りて、今もなほ降るに……からかさをさしたるに、風のいたう吹きて横ざまに雪を吹きかくれば、すこしかたぶけて歩み来るに、深き沓くつ、半靴などの脛はばき巾まで、雪のいと白うかかりたるこそをかしけれ」という段がある。
最近はあまり聞かないが、ここに出てくる「からかさ」とは和傘の総称である。
この「からかさ」の「から」とは、古い文献に「柄笠」や「柄傘」の文字が残されていることから「柄え」を意味するという説や、「唐から」「韓から」から舶来したことに由来するという説、自由に開閉できることから機械装置を示す「からくり」の言葉に由来するなど、どれも尤もらしい色々な説があって面白い。
〇江戸時代の延宝・天和・貞享年間(1673-1688)には、婦女子の間で花鳥や唐草などの模様が描かれた「絵日傘」が流行したそうである。
「絵日傘」は、もとは子供用であったものが、女性の結髪が大きくなるにつれ「笠」の使用が不便になり、大人用にも作られ流行したそうである。
今から300年以上も昔から、女性を守るもの、またおしゃれな道具として、日傘の人気が高かったことに驚かされるが、機能的な理由はもちろんのこと、フランスの画家クロード・モネが夫人を描いた作品「日傘をさす女性」からも感じ取れるように、日傘をさした女性が、より女性らしく美しく見えることも人気の衰えない大きな理由の一つだろう。
少なくとも、季節や天候にかかわらず一年中どこにでも現れる過保護な「乳母日傘」の姿を眺めるよりも、背筋を伸ばして日傘をさした凛とした女性の姿を眺めたいものである。

(大森圭子)