2015年4月号(第61巻4号)

〇長く慣れ親しんだ地との別れを惜しむ冬に、何度となく居場所を譲り渡していたお人よしの春も、ようやく冬を送り出し、あるべき場所に腰を落ち着けてくれたようである。
春風の気まぐれに、しなやかな枝を鷹揚に任せている枝垂れ桜は、大きな薄紅色の噴水のように荘厳でありながら、舞妓さんのうなじで揺れる花かんざしのように可憐でもある。木々の小枝から恐る恐る顔を出した新米の木の葉達は、今にもこぼれ落ちそうな明るい日差しを小さな葉いっぱいに受け止めるのが精いっぱいといった様子で、どんなに手の込んだイルミネーションも足元にも及ばないほど、自分らが美しくきらめいていることに気がついていないようである。
生まれたばかりの春の使いがあちこちに舞い降りてくる、心躍る季節である。
〇先日、青果売場を覗いてみると、プラスチックケースにコロコロと並んだグリーンピースが目にとまり、炊き込みご飯を作ろうと買い求めた。しかしなかなか手が付けられず、それから数日して野菜室から取り出してみると、わずかながら根を出しているものを見つけた。あまりのけなげさにとても炊飯器には入れられず、コットンに水を含ませ豆を乗せておいたところ、驚くほどの速さで葉と茎を伸ばし、一週間もすると5センチほどの高さになった。
牛をお金に換えようと牛を売りに出た少年ジャックは、大切な牛を魔法の豆と交換してしまう。怒った母親が豆を庭に捨てると、翌日には雲の上にまで届いていた…というイギリスの童話「ジャックと豆の木」は、作者が豆の成長の勢いに驚かされて出来たのものであろうか。調べてみると、グリーンピースの草丈は150~200cmにもなるようだが、本来、秋に種をまき、幼苗で越冬し、春にツルを伸ばして収穫に至る植物。残念ながら今、芽を出したものは、気温が上がれば生育は望めないようである。
グリーンピースはエンドウの未成熟な豆であり、エンドウにはほかに、若いサヤを食べる「サヤエンドウ」、サヤごと豆を食べる「スナップエンドウ」がある。次々と現れる新種の野菜には全くついていけず、初めてスナップエンドウを見た時は、肉厚でころっとした形状をグリーンピースと思いこみ、豆の小ささを嘆きながら幾つかサヤを剥いたあとに、ようやくグリーンピースではないことに気がついたほどである。
他にも「ツタンカーメンの豆」と呼ばれるエンドウもあり、古代エジプトの君主・ツタンカーメンの墓に死後の食物として、穀類などとともに壺に入れられていた豆と言われている。それが日本の食卓に並ぶまでに一体どのような壮大なストーリーがあるのか本当であれば知りたいが、残念ながら確かな証拠はないようである。

(大森圭子)