2015年3月号(第61巻3号)

〇本号には、東海大学名誉教授の小澤 敦先生に、本誌の初代編集委員 佐々木正五先生の追悼文をお書きいただきました。
読者の皆様の中にも、佐々木先生と深いご親交があった方がおいでになり、先生との様々な思い出を大切にされていることと思います。
わたくしにとっては、昨年10月に開催された「第50回小島三郎記念文化賞」ならびに「第22回研究助成金」贈呈式の会場で、佐々木先生にお目にかかったのが最後になってしまいました。とてもお元気そうなご様子で、それからほんのひと月後に鬼籍に入ってしまわれるとは思いもよらないことでした。
〇佐々木先生は、仏像彫刻の趣味をおもちでした。一度、展覧会にうかがわせていただいたときには、京都・興福寺の国宝館に安置されている「阿修羅像」と同形の作品を出展されていました。
「阿修羅像」ではとくに、奈良時代に作られた興福寺に安置されている像や鎌倉時代に作られた京都・三十三間堂に安置されている像が有名です。興福寺の像が少年の顔をしているのに対し、三十三間の像は恐ろしいほどに荒々しい顔に表現されています。
阿修羅像は三面六臂(3つの顔と6本の腕を備えている)の姿をしており、第一手は胸の前で合掌していますが、左右に広げられた第二手の左掌には日輪・右掌には月輪、第三手の左掌には弓・右掌には矢が掲げられていたともいわれています。
第二手の日輪・月輪は昼夜・東西を表し、いつどこにいようとも私が弓矢で守っている、という意味をもっているとの説があります。
先生の作品は、目分量で60cmほどの高さがあったでしょうか、立派な仏像で、“未完成”とお聞きしたものの、しなやかな腕と憂いをたたえるお顔は、すでに十分な優しさと貴品をまとっていました。
佐々木先生がなぜ阿修羅像をモチーフに選ばれたのか、お聞きしないままになってしまい心残りですが、天国にいらっしゃる佐々木先生をがっかりさせないよう、これからも編集に尽力したいと思っております。

(大森圭子)