2015年2月号(第61巻2号)

〇2月の節分には全国的に、鬼を退散させ、福を招き入れる豆まきの行事がある。一瞬、鬼ときくと恐ろしいが、鬼にも様々な性格があるらしく、優しい鬼としてまず思い浮かべるのが童話作家・濱田廣介が書いた「泣いた赤鬼」の鬼である。
とある山のがけのところに1軒の家があり、人間と仲良く暮らしていきたいと願う赤鬼が住んでいる。家の前には「ココロノ ヤサシイ オニノ ウチデス。ドナタデモ オイデ クダサイ。オイシイ オカシガゴザイマス。オチャモ ワカシテ ゴザイマス。」の立てふだを立てて人間のお客を待っているが、人々は恐ろしがって寄りつかない。来ないお客を待つうちに失意はやがて苛立ちに変わり、立てふだを引き抜きあばれる赤鬼のもとに友人の青鬼がやってくる。話を聞いた青鬼は、自分がふもとの村に行きわざとあばれるから、僕の頭をぽかぽかなぐって退治すれば、人間は君をほめたてて、安心して遊びにくるに違いないとひと芝居企てる。芝居はうまくいき、赤鬼の家には人々が集まるようになるのだが、御礼に向かった青鬼の家の戸口のきわに「…コノママ キミト ツキアイヲ ツヅケテ イケバ、 ニンゲンハ、 キミヲ ウタガウ コトガ ナイトモ カギリマセン。…ソウカンガエテ ボクハ コレカラ タビニ デル コトニ シマシタ。…ドコマデモ キミノ トモダチ」と書かれた青鬼の張り紙を見つけ、静かに赤鬼の下を去った青鬼を思って赤鬼はしくしく泣くのである。青鬼のあまりにも深い思いやりに感極まって、赤鬼とともに泣いた人も多いのではないだろうか。
濱田廣介には他に、もうこの世にはいない母さん鳥をひたすら待ち続ける椋鳥の子のお話「椋鳥の夢」もあるが、作品に共通するストーリーや文章の美しさ、あたたかさは、赤鬼の書いた立てふだひとつからもうかがえる。見た目で人を判断することの愚かさ、友情の大切さ、自分のことばかりに目を向けていると大切なことに気づかないこと、大事なものは失ってはじめて分かること、日本語の本来の美しさ、更には、美味しいお茶とお菓子目当てに赤鬼の家を訪れる人間の厚かましさなどなど、大人になってからも自分の気持ちひとつで童話から学ぶことは多い。
〇他にも、鬼を題材にした物語に「大工と鬼六」がある。大雨が降ると何度となく橋が流されてしまう流れの速い川に、どうしたら橋をかけられるのか、途方に暮れる大工の前に、突然、川底から大きな鬼が現れる。鬼は大工に代わって見事な橋を完成させるが、その代償に目ン玉を貰うが、自分の名前を言い当てられれば目ン玉は諦めてやると言う。大工は怖くなり逃げだそうとするのだが、逃げる途中で偶然鬼の子を見かけ、口ずさむ歌に「鬼六」の名前を聞く。大工は鬼の元にかけ戻り、見事鬼の名前を言い当てると、鬼はそれから二度と現れることなく、また、その橋は二度と流されることがなかったという。
鬼の話といっても、桃太郎に出てくるような強欲で人間を苦しめる悪い鬼ばかりでなく、友達思いの優しい鬼、器用なうえに約束を守る誠実な鬼まで登場し、住んでいるところもどうやら人間界からさほど遠くないところのようである。物語に出てくる鬼たちは、いつの時代も人のそばにいて、人間が持つあらゆる心を映し出してみせては、良いこと悪いことを学ばせてくれようとする、人間思いの好人のようにも感じられるのである。

(大森圭子)