2014年7月号(第60巻7号)

〇梅雨が明けたというのに水気を吸ったスポンジのようにずっしりと重い空気が辺り一面に漂う。少し歩けば吹き出す汗と、体温を超える気温で体に水滴が付着するのか全身がベタベタになり、息を吸えば生暖かい空気が胸いっぱいになるようで息苦く感じられる。
近年「戻り梅雨」「返り梅雨」という言葉が生まれるほど、梅雨が明け、数日真夏らしい暑さが続いた後に、梅雨に戻ったようなぐずついた天気になることが多い。
夕立と雷は梅雨明けの合図のようなものと思っていたが、最近の異常気象により、梅雨明けとは無関係な5月や6月にも夕立に見舞われることもある。
からりと晴れ渡っていた空が掻き曇り、傘が役にたたないほどのどしゃぶりの雨と激しい雷に見舞われ、一つ屋根の下で多くの人が足止めを食う光景も、夏の風物詩ではなくなってしまうのか。日常生活に散りばめられた小さな季節の標が、いつの間にか静かに消えていくのは寂しいことである。
〇諺で、予想もしないことが起きることを「セイテンノヘキレキ」という。初めて聞いたとき「セイテン」は「晴天」、耳慣れない「ヘキレキ」という言葉は、瓦礫の親戚のようなものかと思ったが、「晴天」は「青天」、「霹靂」とは雷のことで、晴れ渡った青空に突然雷鳴がとどろくことと知った。
この諺は、中国王朝 南宋(1127~1279)の詩人陸游(1125~1210)が、長く伏していた病の床から俄かに起き上がり勢いよく筆を走らせる様子を「正如久蟄龍 青天飛霹靂」(まさに長い間土の中に居た龍が、晴天に雷を飛ばすようだ)と例えたことに由来する。
英語では同じ意味の諺に“a bolt out of the blue”があり、イギリスの評論家 トーマス・カーライル(1795~1881)が「フランス革命史」の中で、青天から突然稲妻に打たれるように、奇妙な犠牲者が拘束されていく様子を“Arrestment, sudden really as abolt out of the Blue, has hit strange victims”と記したことに由来する。
古くからこのような諺があったところをみると、人類は、ときに天候の気まぐれに驚かされ続けてきたのだろう。
〇トーマス・カーライルの残した名言に“The healthyknow not of their health, but only the sick”(健康な人は自分の健康に気づかない。病人だけが健康を知る)がある。
環境省から発行されている熱中症の予防・対処法のパンフレットによると、「人間の体は暑い環境での運動や作業を始めてから3~4日経たないと、体温調節が上手になってきません。」、「急に暑くなった日や、活動の初日などは特に注意」とあった。
生命力の溢れる季節、梅雨と真夏の境界線を彷徨うような不安定な空ではなく、太陽の光いっぱいの潔い青空が恋しいが、一方で体には厳しい季節。熱中症や冷房病で体調を崩し「青天の霹靂」とならないよう、予防と対処法の知識を身につけておきたいところである。

(大森圭子)