2014年7月号(第60巻7号)

今どきの若いもんは

天理医療大学医療学部 臨床検査学科 科長
松尾 収二

私は2年前、天理よろづ相談所病院から、同病院が設立した天理医療大学へ異動となった。臨床検査学科長として自分の子どもより若い学生と接するようになった。自分の大事な教え子だからかも知れないが、「今どきの若いもんは」とは思わなくなった。よく考えてみれば、自分の子どもに「今どきの子どもは」と口にしたこともなければ思ったこともない。学生に対する思いもこれに近い気がする。
「今どき」とはいつと比べて言うのだろうか。過去の記憶がないと比べられないので、遡ってせいぜい5、60年前までと言うことになる。今の60歳代から80歳代と言うことになるが、私も含め、これらの年代の方達の今の姿は、「今どきの若いもん」より優れていた結果だと言えるのだろうか。
当時の若者は今の若者に比べ、本当に勝っていたのだろうか。学問への情熱が高かったのだろうか。人への思いやり、年配者への畏敬の念が強かったのだろうか。マナーがよかったのだろうか。暴力や殺人は少なかったのだろうか。戦前の若者からみれば、「戦後の若者はなっとらん」と言われていたかも知れない。そう思うと「今どきの若いもんは」の言葉は、心身のパワーの衰えを感じる寂しさ、過去の郷愁等が入り交じっている気がする。
「今どきの若いもん」は、意外と礼儀正しくナイーブである。親孝行であり、年配者にも畏敬の念も持っている。家が貧乏な学生の中にはバイトをしながら仕送りしている者もいる。路上で「切れた老人(昔の若いもん)」にじっと我慢する若者もいる。もし若者の良さを感じ取れなかったら、それは年をとり鈍感になってきたか、進化が止まった年寄りになってきたことを示している。私だけかも知れないが、人は年をとっても器は成長しないことがわかった。年配者より若者に学ぶべきことの方が多い。「今どきの若いもんは」を口に出したときは、「今どきの年寄りは」と思われているのだと自分に言い聞かせるこの頃である。