2014年7月号(第60巻7号)

新・真菌シリーズ 7月号

写真提供 : 株式会社アイカム

ムーコル・シルシネロイデス Mucor circinelloides

接合菌門( Zygomycota )に分類されて接合菌とよばれてきた一風変わった真菌のグループがある。ほかの真菌とどこが変わっているかといえば、第1にあげられるのは菌糸に隔壁がほとんどないことである。それに加えて、無性胞子としては胞子嚢胞子、有性胞子としては接合菌の名の由来にもなった接合胞子、といういずれもユニークな胞子をつくる点も大きな特徴になっている。
接合菌は真菌分類学のうえでは最も扱いにくいグループとされ、その名称や分類学的位置づけが何度も変更されてきた。最初は、べん毛のついた遊走子をもつ菌群、べん毛菌亜門( Mastigomycotina )、と一緒に藻菌類( Phycomycetes )としてまとめられた。藻類に最も近い真菌だと考えられたからである。1966年、Ainsworthは、接合菌類とべん毛菌類を分け、子嚢菌類、担子菌類、不完全菌類と合わせて5つのグループ(亜門)に真菌を大別する分類体系を提唱し、これが近年まで広く受け入れられてきた。ところが分子生物学的系統解析が行われるようになると、従来の接合菌は新たに設けられたグロムス菌門( Glomeromycota )の中に置くべきだとする考え方が強くなった。それに伴って、接合菌という菌群名とともに接合菌症という病名も消えてなくなりつつあるものの、とって代わるはずの「グロムス菌症」という病名はまだ誰も使っていない。一方、ヒト病原性をもつ接合菌は、大半がムーコル目( Mucorales )の中のムーコル属( Mucor )、リゾプス属( Rhizopus )、リクテイミア属( Lichtheimia;以前のアブシジア属〔 Absidia 〕)、リゾムーコル属( Rhizomucor)などに所属する菌種で占められることから、これらの真菌による感染症の総称としてムーコル症( mucormycosis)という呼び方が定着しつつある。
つい分類や病名の話に深入りしてしまった。ムーコル症の発生頻度は、最近、様々な免疫不全の患者の増加とともに上昇する一方である。ムーコル目菌の血管侵襲性が強く重症化しやすいこと、早期診断が困難なこと、ポリエン系以外に有効な抗真菌薬がないこと、などの理由から、本症の脅威は益々増大している。 元々ムーコル目菌の多くは、主な土壌菌、植物病原菌・共生菌、さらには空中浮遊菌として知られていたが、ヒト病原菌としての記載もムーコル属菌を皮切りに19世紀前半から見られるようになった。なかでも確証された最初のムーコル症とされているのは、1876年にFurbringerが報告した肺ムーコル症の症例であり、彼は分離された原因菌を Mucor mucedo と同定したが、後にこの菌が Mucor circinelloides にも似ていると述べている。いずれにせよ Mucorは真菌のなかで最も早く記載された由緒ある属名である。このことは、 Mucor がラテン語でカビを意味する事実、つまりカビの元祖であることにも示されている。
上述の M. circinelloides は、ケカビともよばれるムーコル属の代表的な病原菌種である。この菌を寒天培地に培養すると、真直ぐに伸びた綿毛状の菌糸が速いスピード発育し、綿菓子のようにふわふわしたコロニーが数日で培地表面を埋め尽くしてしまう。そのコロニーを詳しく観察すると、綿毛状の菌糸の先端に黒い点が付いているのがところどころに認められる。これが胞子嚢であり、その被膜が薄いために中にぎっしり詰まった黒色の胞子嚢胞子の凸凹が透けて見える。この胞子嚢の全体像はまるで空中に漂う球形のアド・バルーンのようである。一方、それを支える菌糸は照明の熱によって萎縮・変形したためか、円い粒が数珠のようにつながった像を呈している。

写真と解説  山口 英世

1934年3月3日生れ

<所属>
帝京大学名誉教授
帝京大学医真菌研究センター客員教授

<専門>
医真菌学全般とくに新しい抗真菌薬および真菌症診断法の研究・開発

<経歴>
1958年 東京大学医学部医学科卒業
1966年 東京大学医学部講師(細菌学教室)
1966年~68年 米国ペンシルベニア大学医学部生化学教室へ出張
1967年 東京大学医学部助教授(細菌学教室)
1982年 帝京大学医学部教授(植物学微生物学教室)/医真菌研究センター長
1987年 東京大学教授(応用微生物研究所生物活性研究部)
1989年 帝京大学医学部教授(細菌学講座)/医真菌研究センター長
1997年 帝京大学医真菌研究センター専任教授・所長
2004年 現職

<栄研化学からの刊行書>
・猪狩 淳、浦野 隆、山口英世編「栄研学術叢書第14集感染症診断のための臨床検査ガイドブック](1992年)
・山口英世、内田勝久著「栄研学術叢書第15集真菌症診断のための検査ガイド」(1994年)
・ダビース H.ラローン著、山口英世日本語版監修「原書第5版 医真菌-同定の手引き-」(2013年)