2014年4月号(第60巻4号)

〇よく晴れた日曜、久しぶりに谷根千の辺りに散策に出かけた。谷根千とは、東京文京区から台東区に位置する谷中・根津・千駄木の、それぞれ頭のひと文字をとった呼び名である。戦時下にあっても空襲の被害を比較的受なかったことで、神社仏閣や古い街並みが残る。江戸時代から続く庶民の暮らしが今もなお息づくこの町では、古き良き時代を偲びつつ、谷中霊園や旧岩崎邸庭園など、歴史的名所を訪ね歩くことができる。
〇今回の散策でとにかく行きたかったのは、2009~2013年にかけて行われていた保存修復工事も終了し漸く見られるようになった、彫塑家朝倉文夫(1883-1964)の記念館「朝倉彫塑館」である。朝倉文夫は“東洋のロダン”とも呼ばれ多くの代表作を持つ。なかでも「墓守」は、谷中霊園の中にある天王寺の墓守をモデルとした立像で、国宝・重要無形文化財に指定されている。後ろ手を組み慈愛に満ちた笑みを浮かべる老人の像には実は生命が宿っており、耳を澄ませばその息づかいさえ聞こえ、近づけばそのぬくもりや懐かしい匂いさえ感じられそうである。
館内に展示された作品にどれも目を奪われることは言うまでもないが、中でも一番大きな作品といえるのは、国の名勝にも指定されているこの館を含む敷地そのものである。嘗てアトリエ兼住居であったこの建物は、朝倉自身の設計によって、広い中庭を取り囲む形で、数寄屋造りの木造建築の部分と鉄筋コンクリートによる洋風建築の部分とを組み合わせて造られている。外壁の一面には防水の目的で一面に真っ黒なコールタールが塗られ重々しく、長い年月を経てもなお独創的な様相を呈している。さらに屋上に上れば庭園があり、銀色に輝く無数の葉を蓄えたオリーブの巨木が数々の草花を従え、主のように構えていた。様々な文化が融合されたその佇まいは訪れる人を決して飽きさせない。
朝倉文夫が記した『我家吾家物語譚』には「…いろいろな國の建築形式を拝借するからちぐはぐになるのでこれも勝手気儘なアサクリックでゆくか。」の一節がある。施設のパンフレットによれば、この「アサクリック」という言葉は、「アサクラ」と「テクニック」とを組み合わせた造語で、“朝倉流技術”という意味合いであろうことが記されている。形式にとらわれることなく、自分の考えを貫いて造られた空間の何と気持ちの良いことか。
〇谷中商店街の一角にあった寒天の製造元からあんみつを購入し、散策の最後に、つつじの名所根津神社の木陰のベンチに腰掛け、心地の良い春風に吹かれながら、他店とは一味違うあんみつを頬張った。歩きすぎて足は痛くなったけれど、細部にまでこだわりを持つ人々の歴史が続く町で、様々な開拓者達と出会い沢山の勇気をもらった気がした。

(大森圭子)