2014年4月号(第60巻4号)

新・真菌シリーズ 4月号

写真提供 : 株式会社アイカム

トリコフィトン・メンタグロフィテス(毛瘡白癬菌) Trichophyton mentagrophytes

皮膚糸状菌症(白癬)の原因になる皮膚糸状菌は、ヒトや動物の皮膚、毛髪、爪などに主成分として含まれているケラチンとよばれる不溶性タンパク質を分解して栄養源にする能力を持つ。皮膚糸状菌が宿主(ヒト、動物)生体に寄生または感染して発育する場合には、生きた組織に侵入することは決してなく、死んで角化した細胞からなる皮膚の最外層(表皮角質層)の中にとどまる。その際に産生・放出されるプロテアーゼなどの酵素に対する炎症その他の宿主反応の結果こそが白癬とよばれる病態にほかならない。まさしく皮膚糸状菌は、ケラチンの安定な供給源であると同時に生体免疫からも逃れられる表皮角質層を「快適で安全な」棲家とするように進化した賢い真菌といえよう。
現在まで約40菌種の皮膚糸状菌が見つかっており、それらは次の3つの属に分類されている。(i)ミクロスポルム(小胞子菌)属Microsporum、(ii)トリコフィトン(白癬菌)属 Trichophyton、(iii)エピデルモフィトン(表皮菌)属Epidermophyton。ヒトに感染することが確認されているのはその中の約20菌種であり、前号および前々号に登場したミクロスポルム属の2菌種も含まれている。しかしそれよりも遥かに高い頻度でヒトに白癬をひき起こす皮膚糸状菌は、トリコフィトン属の2つの菌種、T.rubrum(猩紅色白癬菌)とT.mentagrophytes(毛瘡白癬菌)、であり、両菌種合せて白癬全体の原因菌の90~95%を占める。わが国ではこの2菌種が白癬患者から分離される比率は、1950年代頃までは同程度だったようだが、それ以降はT.rubrumが徐々に優勢となり、現在ではT.mentagrophytesを3~4倍も上回っている。このようにT.mentagrophytesは、白癬原因菌の順位としては2番目にあるものの、形態学的にはT.rubrumよりも遥かに複雑多彩で映像的にも面白味があるので、本号ではこの菌を紹介する。
トリコフィトン属菌種には、小型の単細胞性分生子(小分生子)を豊富に産生するとともに、さほど数は多くないものの大型の多細胞性分生子(大分生子)も併せてつくるという共通した特徴がみられる。ここに示すのはT.mentagrophytesの大分生子を狙って撮影された写真の1枚であるが、これを見て私は驚いた。前号に載せたM.canisの大分生子の形が日頃からスライド培養で見馴れた通りだったのに対して、本菌の大分生子は大きな団子を4つとさらにその先に小さ目の団子が数個つながっているというまったく予想外の奇妙な形をしていたからである。ここからは私の想像だが、「小さな団子」がやがて「大きな団子」と同じ位の大きさになって全体が教科書にあるような葉巻状を呈する大分生子に成長するのだろう。また「小さな団子」の先端にはかすかながらフィラメント状の構造物も見える。もしかしたらこれは「ネズミの尻尾 rat tail」とよばれる本菌特有の構造物かも知れない。

写真と解説  山口 英世

1934年3月3日生れ

<所属>
帝京大学名誉教授
帝京大学医真菌研究センター客員教授

<専門>
医真菌学全般とくに新しい抗真菌薬および真菌症診断法の研究・開発

<経歴>
1958年 東京大学医学部医学科卒業
1966年 東京大学医学部講師(細菌学教室)
1966年~68年 米国ペンシルベニア大学医学部生化学教室へ出張
1967年 東京大学医学部助教授(細菌学教室)
1982年 帝京大学医学部教授(植物学微生物学教室)/医真菌研究センター長
1987年 東京大学教授(応用微生物研究所生物活性研究部)
1989年 帝京大学医学部教授(細菌学講座)/医真菌研究センター長
1997年 帝京大学医真菌研究センター専任教授・所長
2004年 現職

<栄研化学からの刊行書>
・猪狩 淳、浦野 隆、山口英世編「栄研学術叢書第14集感染症診断のための臨床検査ガイドブック](1992年)
・山口英世、内田勝久著「栄研学術叢書第15集真菌症診断のための検査ガイド」(1994年)
・ダビース H.ラローン著、山口英世日本語版監修「原書第5版 医真菌-同定の手引き-」(2013年)