2013年10月号(第59巻10号)

〇ついこの間まで、冷房をかけたくなるほど暑い日もあったが、ここへきてストンと気温が下がり、そこここに晩秋の気配が感じられるようになった。
今月初めに、来年1 月号に掲載する新春放談が開催されたが、収録を終えたご歓談の席で、いつもお話を楽しく盛り上げてくださる編集委員のM 先生から「もみじ」と「かえで」の違いについて問いかけがあった。季節を感じさせるおしゃれなこの話題に、私などがもたもたと考える間もなく、違いは葉の切れ込みの深さであるとすぐに正解が出された。
〇「もみじ」という名は、秋になると草木の葉が紅や黄に色づくという意味の「もみず」という動詞に由来しており、現在では「紅葉」、古くは「黄葉」の字が当てられていたように、その昔は、秋になると葉の色を紅や黄に変える植物の全てが「もみじ」と呼ばれていたそうだ。
一方、「カエデ」という名は、「蛙の手」→「カエルデ」に由来している。植物分類学上では、イロハモミジのように切れ込みが深い蛙の手のような葉を持つ植物、ハウチワカエデのように切れ込みが浅く肥満気味の蛙の手とも思えるずんぐりした葉を持つ植物など、巷で言う「もみじ」も「かえで」も、さらには葉が卵型をしたヒトツバカエデなど、蛙の手とは似ても似つかない形の葉を持つものまで、150種類ほどの植物がカエデ科カエデ属に分類されてしまうのだが、一般的な区別では、見た目で葉の切れ込みが深いものを「もみじ」、浅いものが「かえで」と覚えておくのが良いようである。
〇「秋の夕日に照る山もみじ」ではじまる唱歌「紅葉」は、1911 年に発表されたものである。作詞は長野県出身の高野辰之、作曲は鳥取県出身の岡野貞一。この二人の作品には他に「春の小川」「朧おぼろ月夜」「故郷」「春が来た」などがあり、四季のあるわが国ならではの自然のなかの暮らし、美しい情景を歌った名曲が、この二人によって数多く世に送り出されている。
おだやかな歌詞と旋律は、日本人の心に優しく溶け込み、これらの歌を耳にしたり口ずさむとき、古き良き時代への郷愁が強く呼び戻され、どこかに仕舞いこんでいた懐かしい情景が俄かに思い浮かぶ。古くこの国に暮らしていた人達と気持ちを一つにしているような安堵感も、かれこれ100 年もの間、これらの曲が大切に歌い継がれてきた理由であろう。
季節の営みのひたむきさと日々少しずつ移り変わる景色は人の心を癒し、私たちを飽きさせることがない。長野県の豪農に生まれ、国文学者でもある高野辰之が「朧月夜」で綴った詩は、現・長野県飯山市にある「菜の花公園」の辺りの景色を歌ったものといわれている。菜の花の季節には、800 万本もの菜の花が咲く広大な景色が現在も見られるように、美しい自然が守られ、この先も共感をもってこれらの歌が歌い継がれる世の中であって欲しい。

(大森圭子)