2013年4月号(第59巻4号)

〇花に嵐は付きもので、東京の桜は今年も潔く散ってしまった。次いで、枯れたようにみえた木々という木々から恐る恐る新芽が顔を出し、気がつくと、どうにか形になった葉がへなへなと心細げに春風に身を委ねている。
人は、「冷え」や「曇り」の頭に「花」のたった一文字を付けることで、この時期ならではの急激な冷え込みや曇天をもまた趣に富んでいる、と楽しむ知恵をもっている。しかし、やわらかな葉を出したばかりの木々たちには、冬と見まがうほどの厳しい天候は受難の日々であろう。
長く厳しい冬に耐え、たゆみなく命をつなげる木々のひたむきな営みは、これを見守る我々にも春の訪れを一層喜ばしいものに感じさせてくれる。
〇木々の成長を見守るあたたかい気持ちは、同時に自分をも力づける心の糧になる。「情けは人のためならず」という諺は、“人に対する親切な行動は、巡り巡ってやがては自分に戻って来る、人には親切にしなさい”という意味であるが、私は、自分以外の全てに対するあたたかい気持ちは自分をもまた幸せにするという解釈をしても良いように思っている。
〇「情けは人のためならず」を題材にした「佃祭」という落語の演目がある。
神田の小間物屋・次郎兵衛は、「暮れ六つの終船に乗って帰る」と妻に告げ、住吉神社の例大祭“佃祭”へと出かけていく。時間を忘れ祭りを楽んだ次郎兵衛、どうにか暮れ六つの終船に間に合い乗り込もうとしたところ、見知らぬ女に袂をひかれて船に乗り損なう。聞けば3年前、身投げしようとしていたところを次郎兵衛に引き止められ、その時貰った5両に助けられたとのこと。女の夫は漁師で帰りの船をいつでも出せることを知って安心し、家でもてなしを受けるうち、さっき乗り損なった終船が沈没し乗客全員が死んだという知らせを耳にする。3年前、もしも女を助けていなければ次郎兵衛も同じ運命、親切はするものだと帰宅してみれば、我が家は次郎兵衛の仮通夜の最中、家族は次郎兵衛の姿を見て仰天する。一方、この噂を聞いた与太郎、自分もこれにあやかろうと5両をもって出かけるが、“歯痛を治して欲しい”と川に手を合わせ祈る女を身投げと見間違い、袂に入れたお供えの梨を重しの石と思い込む始末、大失敗に終わるという落ち。
「情けは人のためならず」の諺は、誤って、“情けは人のために・ならず”と解釈されることも多いようだが、下心をもって人に親切にしようとするのは誰のためにもならないようである。

(大森圭子)