2013年3月号(第59巻3号)

〇東京では平年より10日も早く桜(ソメイヨシノ)が開花した。この開花にタイミングをあわせ、東京の新名所・東京スカイツリーも桜色にライトアップされた。新聞には、桜色よりも少し濃いめのピンク色にライトアップされ、普段より愛らしく見えるスカイツリーの写真が掲載されていた。
ライティングは、ピンク色から白色に変化させ、桜が花開く様子を表わした「咲」と、ピンク色のタワーに白色の光を点滅させ、ちらちらと桜の花が散る様子を表わした「舞」の2種類があるという。
春といえば思い浮かぶのは桜、菜の花、新芽など。厳しい冬に閉ざされた長い季節は過ぎ、明るい春色に包まれ心が広々とする美しい季節はもう目の前である。
〇3月3日は桃の節供・雛祭りである。もとは〈雛送り・雛流し〉といって、人形(ひとがた)に供物を捧げた後、これを己の身代わりとして海や川に流し、さまざまな凶事を人形とともに水に流し清めるという厄払いの行事が原点になっている。
雛流しの行事は今も各地で継承されており、私も以前、“鳥取のお土産”といって民芸品の〈流し雛〉をいただいたことがある。桟俵(さんだわら)とも呼ばれる丸く編まれた藁製の浅い籠の底に雄雛・雌雛の紙人形が籠められたもので、本来どこかに流すべきであったかも知れないが、これは今も流すことなく引出しの奥で静かに眠っている。
一方、現代のように雛人形を飾り始めた歴史は比較的新しく、江戸時代前期までは紙屏風の前に紙や押絵の紙雛を置き、簡単な供物を供えるだけであったものが、江戸時代中期以降、人形(にんぎょう)の製作や商売の発達が盛んになるに連れ、雛人形を飾る風習へと形を変えていったようだ。
初めは宮廷や幕府の行事として、のちに武家や町人などの間でも広く雛祭りが行われるようになった。やがて官女や衛士といった付属の人形や調度類が華美になり過ぎて、幕府は再三これを禁ずるお触れを出したそうである。「隴を得て蜀を望む」という諺もあるが、人の望みや欲望に際限がないことには今も昔も変わりないようである。
〇今月号には「新版全国衛生研究所見聞記」の番外編として、「東日本大震災-あの日から二年医療支援と今後の備え」の記事を編集委員の宮地先生にご執筆いただきました。取材のお供として現地を訪ね、何もかも流され空っぽになった数え切れない廃墟を目の当たりにした後には、取材から東京に戻り、コンクリートのビルの幾つもの窓に煌々と明かりが灯っていることが俄かには信じられない思いであり、テレビや写真からは得られなかった新しい思いが自分に芽生えたことを確かに感じました。どうかぜひ皆様も一度、東日本大震災の被災地へと足を運んでいただきたいと思っております。

(大森圭子)