2013年2月号(第59巻2号)

〇立春も過ぎ暦の上では春とはいえ、まだまだ強い寒波が訪れる日も少なくない。モスクワに遠征したナポレオンが寒さに負けて敗退したことから、厳しい寒さやシベリア寒気団を擬人化し「冬将軍」と呼ぶことがあるが、今年もまた3月を目前にしてもなお、冬将軍はあらん限りの力を振り絞っている。天気予報では連日のように「真冬並みの寒さ」を繰り返すが、2月中の厳しい寒さは例年のことで、この台詞にはいつも違和感を覚えるのである。
〇地域による流儀に多少の違いはあるものの、2月の節分では、「鬼は外、福は内」と唱えながら豆を撒くなど各地で邪気を払う行事が執り行われる。
古く日本では、姿が見えないもののことを「隠(おぬ)」といい、寒気や疫病など、目には見えないが人に災いをもたらすもののこともまた「隠(おぬ)」と呼んでいた。「おに(鬼)」はこの「おぬ」が訛ったことが語源とされる。宙に向かって「鬼は外」と唱えるのは、立春を前に目に見えない寒気を追い払う意味もあるのだろう。
理化学研究所の加藤茂孝先生に本誌にご執筆いただいた連載「人類と感染症との闘い」は、現在PART2の開始に向けてご準備いただいているが、PART1の1回目のタイトルには「人は得体の知れないものに怯える」が付けられていた。豆撒きの風習も、人は目に見えないもの、得体の知れないものに怯えるがゆえに、やみくもに豆を撒いて敵を懲らしめているのであろう。鬼の付く漢字には魔王や悪魔などに使われる「魔」があるが、豆を撒く理由は、「魔の目」に豆を投げ付けて「魔を滅ぼす=魔滅(まめ)」に通じているともいわれている。
〇目には見えないものが鬼の語源であるのにもかかわらず、古くから鬼の姿は絵にも描かれてきた。絵の中の鬼が共通して人の形をし、頭には牛角、裸で腰の周りには虎の皮をまとい恐ろしい形相をしているのは、陰陽道の教えで丑寅の方角を「鬼門」とした影響で、示し合わせたように頭はウシ、腰から下はトラをかたどるようになったのだそうだ。
13世紀鎌倉時代に編纂された説話集「古今著聞集」には、鬼の丈は8~9尺(1尺を30.3cmとすると、242.4~272.7cm)、髪は夜叉のように振り乱し、体の色は赤黒く、目は猿のようで裸である。身には毛が生えず物を言う事もない、と書かれていることを知った。ここでもやはり、どんなに恐ろしく描かれた鬼の絵を見てしまうより、猿の目をした物言わぬ大きな鬼を頭で思い描くほうが一層恐ろしさがつのり背筋がぞっとすることに気付いた。どんなものにもインターネットで繋がり、望むものを瞬時に目にできる世の中ではあるが、想像力で果てしなく感情を湧きあがらせることも人に与えられた大切な能力の一つだとふと思いだした。

(大森圭子)