2013年2月号(第59巻2号)

健康に生きるために(2)

人体解剖図

728mm×515mm

〇適正体重を維持
肥満外来をやるのに自分が太っていては説得力が無いので、75kgあった体重を65kgまで減量しました。ホームページに自分のダイエットの経過を載せて宣伝しただけで数十人ほどが肥満外来を受診して来ました。最初にたっぷりと時間をかけて食事法や運動法を説明し、後は毎日の体重を測って表にしてもらいます。しかし、ダイエツトに成功した人は数人で、ほとんどの人は途中で挫折して来なくなってしまいました。多くの人は簡単にすぐ痩せられるダイエットを求めているのであり、長く辛いダイエットはやりたくないのだと実感しました。
病気を伴っている人は薬も処方するので良いのですが、多くの人は健康保険の再診料のみでほとんど金にならず、時間だけはたっぷり掛かると言う、割に合わない仕事であり、数年頑張ったのですがついに止めてしまいました。まだメタボ検診の始まる前で、時代を先取りしすぎたようでした。
収入面では失敗でしたが、自分の健康のためには良い経験でした。私自身はその後もダイエットを継続し、リバウンドすることなく10年以上64~66kgの体重、BMI21~22をキープしています。
ダイエット前は完全なメタボ体型で、あのまま体重が増え続けるような生活を送っていたら、今ごろは心筋梗塞でこの世にいなかったはずで、それを考えるとぞっとします。
ダイエツトに近道は無く、食事制限と運動が王道です。月に1kg 程度ゆっくりと減らして行きます。脂肪の中にも有用なホルモンや免疫物質があり、急激に脂肪を減らすと体調を崩すことが多いです。私も、始めた直後は重症な風邪を引きました。
運動は早足で1日1万歩が基本です。有酸素運動になるので、これだけで内臓脂肪は結構減少し、足に筋肉の付くことを実感できます。運動で体重が減ると思っている人が多いのですが、これは正確ではありません。筋肉は脂肪より重いので、筋肉が付き始めると逆に体重は増える事もあります。筋肉を増やすのは、熱産生して体温を上げることや脂肪を燃焼させる基礎代謝を増やすことが目的です。これがリバウンドを防ぎます。
そして体重を落とすには食べる量を減らすことと、食事内容を変えることです。現代人は食べ過ぎです。人類誕生からほとんどの時期は食事もやっとの時代だったでしょうから、我々の体は飢餓に対応するようにできています。今のように豊食を繰り返していると体は対応できずに具合悪くなってしまうのだと思います。

〇今月の作品:人体解剖図
この作品は二科展デザイン部のD部門に出すために作ったものです。D部門は、小さな作品を多数並べて表現する部門で、当時、仕事柄沢山のMRI 写真を持っていたので、これらを使って身体の各部分の断面図を解剖図のように並べました。どこが立体かと思うでしょうが、MRI 写真は100円ショップで手に入れた木の枠に入れてあり、部位を指している糸は宙に浮いているのです。まあ、平面でも良かったような作品ですが、立体にすることで、雰囲気が良くなったと思います。2009年第94回二科展デザイン部D 部門入選作品です。

多摩川の魚たち:http://homepage3.nifty.com/tamafish/(現在閲覧不可)
絵画のギャラリー:http://r-kaiga.suz.cc/(現在閲覧不可)

絵とエッセイ  鈴木 孝成

昭和28年1月12日
信州松本にて生を受ける

<職歴>
昭和57年…東京医科大学医学部卒業、放射線医学教室大学院に入学
昭和61年…東京医科大学放射線医学教室助手
平成2年…米国アリゾナ大学メディカルセンター核医学に一年間留学
平成4年…東京医科大学放射線医学教室講師
平成7年…東京医科大学退職、町田市にて、中町クリニックを開業。MRIを導入して地域の画像センターとしての機能を担っていた。
平成23年…中町クリニック閉院。

<絵の略歴>
幼い頃から絵や工作に熱中していた少年だったそうである。小学生の頃は、松本の月草絵画教室に通っていた。中学になって押し付けがましい美術の授業に嫌気がさして、物理部で飛行機ばかりやっていた。高校では、美術室入りびたりの生活となった。主に人物の油絵を描いていて、二科展絵画部に入選。大学は1年浪人後、飛行機好きが高じて東海大学航空宇宙学科に入学。その後も数年は夏休みに高校の美術部へお邪魔して二科展の油絵を製作し、2度目の二科展入選を果たす。その頃にPC-8001が発売されてパソコンブームとなり、ゲーム開発に熱中して絵の事はすっかり忘れる。芸夢狂人のペンネームで、雑誌に記事を載せたり、九十九電気にゲームソフトを卸したり大忙しであった。
東海大学卒業の頃はすっかり不況のまっただなか、希望する航空関係の企業に勤められる可能性も無く、東京医大を受験したところ、奇跡的に入学できて、ここからまた6年間の学生生活が始まった。
東京医大卒業後結婚し、放射線科医局へ入局後は忙しい新米医者の生活になり、絵を描くのは、子供とスケッチをする程度であった。
そして、ふと気づくと、50歳も過ぎ中年真っ只中であった。ひょんなきっかけからリアルな風景画の世界にはまり、現在に至っている。