2011年11月号(第57巻11号)

〇二十四節気の小雪しょうせつが訪れるこの頃は、秋の名残のような穏やかであたたかな小春日和と、いつ雪がちらついても不思議ではないような冷え込みの厳しい日とが入り混じり訪れる。長野県小諸町で教師として6年の歳月を過ごした島崎藤村は、1年を通して千曲川流域の自然と人々の暮らしを描写した「千曲川のスケッチ」を書いた。この中でこの頃の気候を、「気候は繰返す。温暖あたたかな平野の地方ではそれほど際立きわだって感じないようなことをここでは切に感ずる。寒い日があるかと思うと、また莫迦に暖かい日がある。それから復た一層寒い日が来る。いくら山の上でも、一息に冬の底へ沈んでは了しまわない。」と書き表している。日を追うごとに寒さを増す日々の合間に訪れる小春日和は、心忙しく、ひときわ長く厳しい冬を受入れる準備をする農夫たちにとって、楽しくかけがえのない日であったようである。
〇プラド美術館に所蔵されているスペインの画家フランシスコ・デ・ゴヤの絵画、「着衣のマハ」が東京上野の国立西洋美術館に展示されている。日本では40年振りの公開になるというポスターを目にし、我が国にゴヤ・ブームを巻き起こした「大ゴヤ展」(1971)からの長い年月を実感した。1989年43歳でマドリードの王宮でカルロス4世の宮廷画家となったゴヤは、王侯貴族や延臣の華やかな肖像画を数多く描いたが、46歳の時に重病で聴力を失ってからの後半生では、想像力を広げ自由制作を行い、風刺や社会的メッセージ、争乱の時代を生きた証人としての記録を込めた作品を多く残した。「聾の家」と称した別荘の壁には、ローマ神話の農耕の神サトゥルヌスが支配権を奪われることを恐れ、次々に我が子を飲み込んだという伝承をモチーフに描いた有名な「我が子を食らうサトゥルヌス」をはじめ「黒い絵」と呼ばれる作品群を残した。限りなく深い闇の中から醜悪な表情を浮かべた人々が浮かび上がるように描かれ、人間の憎悪、嘲笑、裏切りなどの醜い側面が壁一杯に塗り込められたような恐ろしい絵である。40年前の「大ゴヤ展」-当時、小学生であった私は、作品のあまりの美しさと恐ろしさに圧倒され、ひと言も発することが出来なくなったように記憶している。
女性画家・彫刻家のマリー・ローランサンは、「スペインの女達は惑わせるのが上手。でもゴヤのほうが一枚上手」と称賛の言葉を残している。あれから40年、着衣のマハ-スペインの小粋な下町娘は相変わらず美しく、謎めいた微笑みを浮かべて横たわっていることだろう。来年1月の末頃までの公開期間の間にぜひ一度、再会を遂げたいと思っている。

(大森圭子)