2011年5月号(第57巻5号)

〇ある風の少し強い土曜日、時折散策をしている仲間内で今回は東京タワー近辺を散策した。東京名所の一つではあるものの、いつでも行ける東京タワーは近くて遠いところ。近くで眺めることはあっても、其の実そこまでは辿り着かない場所でもある。今回、思い立って行ってみると、近づくにつれて沢山の人の気配を感じ、タワー入り口のほうを見遣るとその前に大勢の人だかりが出来ていた。
〇何かと覗いてみると、思いがけず猿まわしショーの真っ只中。江戸時代の猿使いは、古手巾、弊衣(ボロの着物)、竹棒といういでたちであったそうだが、現代の猿使いとお猿はキリッとした揃い半纏に身を包み、見た目からして小気味良い。
猿使いの女性の威勢のよい掛け声で、ちょっと惚けた愛らしいお猿が滑稽な格好で動きまわり、笑いを誘っていた。暫く見ていると、あるとき只ひたすらにお猿が立って歩き回るので、何が面白いのか?と皆、意味が取れずにいたところ、絶妙なタイミングで発せられた猿使いの言葉で、お猿が二本足で歩き回ることは立派な「芸」であることに一斉に気がついた。歩みがヨタヨタしていたのはそのせいであったか、とお猿の労をねぎらい、拍手と爆笑が湧き起こった。
〇古くから猿は馬の守護神とされており、また、魔を去る(さる、猿)ものと信じられていた。そのため、鎌倉から室町時代頃まで、武士にとって大切な馬の疫病払いや厄払いの祝福芸として、武家の厩舎や身分の高い人の邸宅などで、猿回しの芸が行われていたそうである。
やがて宗教性は無くなり、大衆娯楽の大道芸として栄えたものの、一時期その姿をすっかり消したこともあったそうだ。それでもなお復活し、いまだ人の心を魅了して止まない日本古来の伝統芸。笑顔と拍手に包まれたそこには、時代や世代を超えたあたたかな空間が出来上がり、皆で春の日の安らぎを仲良く分け合い、心地よく共有しているかのようであった。

(大森圭子)