2011年2月号(第57巻2号)

〇ある方から台湾にある国立故宮博物院のおみやげとして、「翠玉白菜」という収蔵品の写真がのったコースターをいただいた。「翠玉白菜」は、緑と白の二色を併せ持つ翡玉(翡翠)の原石を白菜の形に彫り刻んだもので、色のコントラストを葉と芯の部分に巧みに使い分けて彫りこんである。この彫刻物は、光緒帝の側室であった瑾妃の紫禁城の寝室に置かれ、珊瑚でできた霊芝とともに瑾妃が鑑賞していたと伝えられる。長さ18.7センチと白菜にしては小ぶりであるがつやつやとして愛らしい。白菜の形ばかりに目をとられていると見落としてしまうが、そこにキリギリスとイナゴが彫られていることを知って目を凝らすと、一旦気付いてしまえばぎょっとするほどの大きさのバッタが葉の部分に張り付いていた。元・明時代に流行した草虫画の世界でも植物と昆虫の組み合わせは縁起が良いとされるが、ここでは純潔をあらわす白菜に多産の象徴でもあるキリギリスとイナゴが施されていることから、瑾妃の嫁入り道具であったとも考えられている。瑾妃といえば西太妃の命令で井戸に落とされ殺害された珍妃の姉である。永遠に変わることのない清らかな「翠玉白菜」を、うつろう時代のなかで瑾妃はどのような思いで眺め続けていたのか。
中国の紫禁城(現在の故宮博物院)にあった収蔵品は、日本軍の侵略や日中戦争、第二次世界大戦と文化大革命などの内乱による破壊の恐れから、中国各地を転々とした後、とくに逸品とされるものが台湾にある国立故宮博物院に移されたのだそうだ。
〇白菜は日本の伝統食品である漬物のイメージが強いせいか日本の野菜とばかり思っていたが、英名では“Chinese cabbage”フランス語で“chou de Chine”と呼ばれるように、中国が原産の野菜である。もとは蕪と青梗菜の野生の交雑から生まれた「牛肝菜」という不結球の植物であり、それを半結球、結球型へと進化させた。わが国では明治8年、清からの半結球の山東白菜が東京博覧会で紹介されたこと、さらに日露戦争で農村出身の兵士が種を持ち帰ったことを発端に試行錯誤が重ねられ結球型の栽培ができるようになり、普及した。
精進料理での「養生三宝」とは「豆腐」「大根」「白菜」のことである。冬将軍が猛威を奮うこの季節、鍋の白菜を沢山食べて風邪が予防できるのなら、願ったり叶ったりである。なお、時折、白菜にそばかすのような黒い斑点を目にすることがあるが、これは「ゴマ症」といってポリフェノール類の蓄積による変色で、食しても無害だそうである。ただその原因が、過剰な肥料、高密度の植え付け、収穫時期の遅れ、低温での長期保存などのストレスによる白菜の生理反応だと知ると、ほんの少し胸の痛みを伴うことがあるかも知れない。

(大森圭子)