2011年2月号(第57巻2号)

虫林花山の蝶たち

イグアスの滝とウラモジタテハ Eighty-eight (88)

日本人は古来より「滝」が好きな国民です。どうしてそんなに滝が好きなのか良くわかりませんが、多分、畏怖すべき自然崇拝の象徴の一つが「滝」なのでしょう。そんな滝好き日本人が世界三大瀑布として崇めるのは、北米のナイアガラの滝、南米のイグアスの滝、アフリカのビクトリアの滝です。中でも、ブラジル、パラグアイ、アルゼンチンの国境に位置するイグアスの滝は、その規模、迫力において世界一とも言われています。しかし、僕にとってこの滝の魅力は、滝そのものもさることながら、周囲の亜熱帯樹林やそこに棲む多くの生物です。とくに蝶は種類数、個体数ともに豊富で、四国の1/6程度の面積しかないイグアス国立公園には、日本産の全種類(237種)を上回る250種以上の蝶が棲息しているのですから、蝶好きの僕にとっては夢のような場所といえるでしょう。
昨年の10月、ブラジル(サンパウロ市)で開催された国際学会の後、「イグアスの滝」に立ち寄りました。実は「イグアスの滝」には以前(5年前)にも訪れたことがあるので、これが2度目の訪問になります。この時期のブラジルはちょうど雨季でしたので、イグアスの滝は水量を増し、想像を絶する水の固まりが数キロにもわたり大迫力で落下し、周りの自然のすべてを飲み込み押し流しているように見えました。それは恐ろしいほどの豪快さで、その姿に単なる滝以上の何かを感じました。そんなイグアスの滝が養っている亜熱帯樹林の中を散歩すると、金属的な青い輝きを持つモルフォチョウを初めとして、多くの南米の蝶たちに出会うことが出来ました。そこの蝶たちは、日本やアジアに棲息するものとは形態や色彩が異なるので、見つけるたびに新鮮な驚きや喜びを感じたものです。
ブラジル側の滝が一望できる展望台に立ってみると、一頭の小型のタテハチョウが観光客の周りを飛びまわっていました。近づいて見ると、イグアス国立公園を代表する蝶の一つ「クリメナウラモジタテハ」でした。この蝶はEighty-eight (Cramer'seighty-eight)と呼ばれていて、翅裏の紋が数字の88に見えます。紋が数字に見えるというのは、単なる自然界の偶然といえるものですが、それだけでこの蝶に特別な親しみが沸くのですから人間とは勝手なものですね。
そこで、豪快なイグアスの滝をバックにして、このウラモジタテハを撮影してみたいと思いました。そのためには、広角レンズをカメラに装着し、滝側に静止する蝶を近接撮影しなければなりません。しばらく蝶の後を追った末、とうとう僕の拳の上に静止して、ストローを延ばして吸汗を始めてくれました(蝶も根負けしたのかも?)。蝶は吸汗を始めるとあまり動きませんので、蝶が乗った腕をそっと滝の方に向けて、何度もシャッターを切ることができました。実はこの写真が撮影できたのは、イグアス滞在最終日の午前中で、正午にはイグアス空港経由で、日本に帰国しなければなりませんでしたので、文字通りのラストチャンスでした。
プレートテクトニクスによれば、太古の南米は現在のアフリカ大陸やオーストラリアなどとともに一つの超大陸(ゴンドワナ)をつくり、一方、アジアは北アメリカ大陸、ヨーロッパなどとともに別な超大陸(ローラシア)にありました。すなわち、南米の蝶たちは、アジアのものとはもともとのルーツが異なり、独特の進化や分化を示したのか知れません。
日本の寒い2月の夜には、「ゴンドワナの申し子」ともいえる南米の蝶たちが懐かしく思い出されます。いつの日か、恐ろしくも魅力的な南米の大地を再び訪れて、群れ飛ぶ蝶たちと戯れてみたい…と夢見ています。
虫林花山の散歩道:http://homepage2.nifty.com/tyu-rinkazan/
Nature Diary:http://tyurin.exblog.jp/

写真とエッセイ 加藤 良平

昭和27年9月25日生まれ

<所属>
山梨大学大学院医学工学総合研究部
山梨大学医学部人体病理学講座・教授

<専門>
内分泌疾患とくに甲状腺疾患の病理、病理診断学、分子病理学

<職歴>
昭和53年…岩手医科大学医学部卒業
昭和63-64年…英国ウェールズ大学病理学教室に留学
平成2年… 山梨医科大学助教授(病理学講座第2教室)
平成8年… 英国ケンブリッジ大学病理学教室に留学
平成12年…山梨医科大学医学部教授(病理学講座第2教室)
平成15年…山梨大学大学院医学工学総合研究部教授

<昆虫写真>
幼い頃から昆虫採集に熱を上げていた。中学から大学まではとくにカミキリムシに興味を持ち、その形態の多様性と美しい色彩に魅せられていた。その後、デジタルカメラの普及とともに、昆虫写真に傾倒し現在に至っている。撮影対象はチョウを中心に昆虫全般にわたり、地元のみならず、学会で訪れる国内、国外の土地々々で撮影を楽しんでいる。