2011年2月号(第57巻2号)

2枚の現役時代のスキー写真

元札幌医科大学附属病院 検査部 佐々木 禎一

先週札幌で例年より早目の初雪があった。そして今私の手許に2枚のスキーの写真があり、これを見て私は北大スキー部時代(昭和20~26年)の想い出が懐かしく蘇ってくる。1枚は合宿所近くの初心者用Gel?ndeで回転を楽しんでいる写真で、私は薄いセーターに角帽を被っている。しかしフォームは極めて理に適っており(谷肩の入れ方、stockの捌き方、両枚の平行状況等々)、今見ても非の打ち所がないものであった。もち論私も競技大会(回転、滑降および両成績の計で競う新複合種目)ではそれなりの活躍-全日本学生での入賞、全日本選手権や国体への出場、全日本回転で4位入賞等々-を収め、その頃の健斗振りを誇らし気に想起できる。
もう一枚の写真は現役時代1回も練習せず、いきなり大倉Schanzeでの試合(宮様大会)に出場した際の飛躍フォームである。実は先輩から或る日突然「北大はjumperが少ないのでalpineの選手もjumpをやれ」との檄があり、私が挑む破目になった結果であった。当時のSchanzeは札幌冬季五輪で改修する前の古い台で、もち論liftも無く、右側斜面に設置された木製観覧台の前の階段を重いjump用skiを肩に1歩ずつ登って行くという(start台まで4000段以上とか)可成り大変なものであった。それ以上に現在と違いヘルメット無しでsweaterのみで危険防止の対策もなかった。さらに私の靴は親戚の人が復員した際の軍靴を貰い受けたもので私には大き過ぎ、厚い毛糸の靴下2足と父の足袋を重ねて履き足を固定した。一方経験豊富な一流選手でも“初めてのjumpでは緊張の余り無我夢中で途中のことは全然覚えていなかった”と云っていたが、私の場合出発~踏切り~風圧等よく覚えており、空中で前の選手達の着地した折のSpurも次々と目に入り、「結構飛距離を伸ばしているな」と予想以上に冷静だった。私は結局2回の飛躍共80数米を飛び、着地のTelemarkもピタリと決まり、可成り好い飛型点を貰った。手許の写真はこの時の鋭い前傾姿勢で飛び出した飛躍フォームを正直に撮していた。会場では心配気に観戦していたスキー部の先輩や応援に来ていた在籍中の北大理学部化学科の指導教官も安堵の胸を撫で下していたのを知り、私自身も満足であった。その日の夕刻閉会式があったが、飛型点が思ったより低く入賞できなかった点今でも悔やまれる想い出であった。
この試合以降私もjumperとして認められたが、その翌年度北大を卒業し札幌医大に就職したが、一時体調を崩し入院した折また宮様大会に病院から抜け出して大倉Schanzeに挑んだが、流石に大転倒しスキーも細々に砕け、救護班により運び出される始末、しかし特に怪俄もなかった。その結果私はjumperから足を洗った。
以上手許にあった2枚の現役時代のskiの写真を手に、昔日の想い出を紹介した。本誌の随筆欄としては少々相応しくない文となったことを気にしながら責務を果したい。