2010年1月号(第56巻1号)

〇昨年も本誌にあたたかいご支援をたまわり、誠に有り難うございました。新年を迎え、編集室一同新たな気持ちで頑張ってまいります。本年も変わらぬご愛顧をたまわりますようお願い申し上げます。
〇正月には欠かせない餅。日本での歴史は古く稲作とともに東南アジアから伝わり、押し固める、練るなどのそれまでの手法に加え、新しく日本独自の搗つき餅の手法が誕生した。「モチ」の名は、丸い形から「望月(満月の異称)」に由来するというもの、「モチ」とは粘り気のあるもののことで、もともとは鳥黐(とりもち)を指していたが、そこから派生した食品の呼び名としてのほうが主流になったという説のほか、保存食であることから「長持ち」、携帯できることから「持つ」に由来するという説もある。
この「モチ」という言葉と穀物を蒸す・煮るなどした食品という意味の「イヒ(飯)」という言葉が合わさって「モチイヒ」となり、省略されて、古くは「モチヒ」と呼ばれていたそうである。日本最古の記録には「宇津保物語(平安時代中期)」の「つばひもちひ(椿餅;餅粉で作った餅を葉で包んだ菓子)」がある。
〇三種の神器“八咫鏡(やたのかがみ)”に代表されるように、古来、鏡には神が宿っているとされこれを祭祀に用いていた。平安時代になると餅を鏡の形に拵えて神秘性を持たせ、「餅鏡(モチヒカガミ)」「鏡餅」と呼んで供物とするようになった。一方、武家社会では具足(鎧・兜・甲冑の別称)の前に供えたことから「具足餅」、「鎧餅」と呼ばれた。
1月11日に行われる「鏡開き」は江戸幕府がこの日に定めたことから今に至っている。武家の間では「切る」という言葉や行為は祝賀の儀式では嫌われていたため、「開運」の「開」を取って「鏡開き」という言葉を使い、刃物は使わず木槌などで細かく餅をくだいた。
真空パックから取り出したばかりの餅は滑らかでどうしても刃物を必要とするし、袋詰めの角餅や丸餅が鏡餅型の容器に詰められていることなど昔の人には想像を絶することである。現在の最新型鏡餅に至った経緯を知ることは非常に興味深いが、この先にどのような発展をするのかはさらに興味深い。昔はひびだらけでとりどりにカビの生えた鏡餅を水餅や揚げ餅にしてよく食べた。ずいぶん沢山食べたように思うが、何の影響もなかったのかそれとも何らかの影響が出ているのかは不明である。

(大森圭子)