2010年1月号(第56巻1号)

虫林花山の蝶たち

虫を楽しみ、花を楽しみ、自然を楽しみ、そして人生を楽しむ

この度、Modern Media に表紙の写真とエッセイを依頼され、とても嬉しく思っています。小生は大学で病理学を学生たちに教え、病院では診断業務に携わり、さらに研究室では主として内分泌疾患の研究を日夜行っています。しかし、その傍らで、週末はフィールドに出かけて、野草や昆虫をカメラで撮影しているウィークエンドナチュラリストでもあります。そのナチュラリストの部分がいささか高じてしまい、2005年から「虫林花山の散歩道」というホームページを開設し、さらに、2006年からは「Nature Diary」という昆虫写真のブログまで運営するようになってしまいました。
振り返ってみると、子供の頃より昆虫が好きで、受験や結婚などの人生の大きな転機にも変わることなく昆虫の採集や撮影を行ってきました。多くの方(特に男性)は、小学生時分には昆虫に感心は示すものの、中学、大学と進むにつれて、その興味を失っていきます。なぜ、大人になっても虫好きなのだろうか?
2003年にある論文が出て世界中で話題になりました。それは、ゲイ(同性愛)の兄弟が共有しているX 染色体区間から、HMS1(別名GAY1)と呼ばれる遺伝子が見つかったというものでした。この発見は重要な示唆を含んでいるように思えます。すなわち、人間の性格や嗜好。行動などは、ある特定の遺伝子の発現に関係するかもしれないということです。その考えを自分に強引に当てはめてみると、「虫好き」にはその性格を支配する遺伝子(虫好き遺伝子)が関与し、その発現が何らかの理由(突然変異、転座など)によって、大人になっても持続していると思われるのです。あまりしっかりした根拠のない病理学者の夢想ではありますが、あながち否定も出来ないなと思っています。まあ、堅苦しいことは考えずに、これからも、「虫を楽しみ、花を楽しみ、自然を楽しみ、そして人生を楽しむ」をモットーにして暮らして生きたいと思っている次第です。
これから24ヶ月に渡って、小生の拙写真と駄文を「虫林花山の蝶たち」として掲載させて頂きますが、昆虫、とくに蝶の美しさ、多様性の妙などを楽しんで頂ければ幸いです。
虫林花山の散歩道:http://homepage2.nifty.com/tyu-rinkazan/
Nature Diary:http://tyurin.exblog.jp/

硝子細工のようなトンボスカシマダラチョウ

子供の頃に上野の国立科学博物館によく通ったものです。お目当ては世界の昆虫を見ることで、やや薄暗い展示室の南米の蝶の一角には、青い金属光沢を放つモルフォチョウや原色の色彩のミイロタテハチョウなどの華麗なスターたちともに、トンボのような透明な翅をもつチョウたちが並んでいて、その珍奇ともいえる怪しい魅力に魅せられていました。
時は過ぎ、2006年の11月末、南米アルゼンチンのブエノスアイレス市で行われた国際甲状腺学会に出席した折に、世界三大瀑布として有名な「イグアスの滝」に立ち寄りました。イグアスは噂にたがわず、その景観といい、規模といい文句無く素晴らしい滝でしたが、それよりも私にとって嬉しかったのは、滝の周りの遊歩道で南米特産の蝶たちを多数観察できたことでした。とくに印象深いのは、ふと目を止めた黄色い花で、長い間憧れていたトンボスカシマダラチョウを見つけたときでした。目の前でヒラヒラとゆっくり飛んで、黄色い花で吸蜜を繰り返しているトンボスカシマダラチョウは、この蝶の特徴である透き通った翅があたかも硝子細工ように繊細で、手に取ると壊れてしまうかもしれないと思えるほどにどこか儚げな印象を受けました。そんな蝶を目の当たりにして、感激した私は額から流れ落ちる汗を気にもしないで、ひたすらカメラのシャッターを押し続けたのを覚えています。虫写真屋(虫写真が好きのヒト)の至福の時間でした。
翅が透明な蝶は世界でも南米を中心に発展していて、「トンボスカシマダラチョウ」の他にも「スカシホソチョウ」、「スカシジャノメチョウ」が知られています。今回掲載した蝶は、トンボスカシマダラチョウと呼ばれる仲間の1種で、英名をCrystallineといいます。日本語にすれば、クリスタルトンボスカシマダラチョウと呼ぶのが適当かもしれません。一般に、マダラチョウ科の蝶は、体にある種の毒を持っているので鳥は食べません。そこで、スカシホソチョウやスカシジャノメチョウたちは、スカシマダラチョウに擬態(ベイツ型擬態:毒をもつ生物に似せる)して鳥からの襲撃を逃れているのでしょう。自然界に見られる蝶たちの色彩や形態には、面白い合目性が存在することがあるのです。

写真とエッセイ 加藤 良平

昭和27年9月25日生まれ

<所属>
山梨大学大学院医学工学総合研究部
山梨大学医学部人体病理学講座・教授

<専門>
内分泌疾患とくに甲状腺疾患の病理、病理診断学、分子病理学

<職歴>
昭和53年…岩手医科大学医学部卒業
昭和63-64年…英国ウェールズ大学病理学教室に留学
平成2年… 山梨医科大学助教授(病理学講座第2教室)
平成8年… 英国ケンブリッジ大学病理学教室に留学
平成12年…山梨医科大学医学部教授(病理学講座第2教室)
平成15年…山梨大学大学院医学工学総合研究部教授

<昆虫写真>
幼い頃から昆虫採集に熱を上げていた。中学から大学まではとくにカミキリムシに興味を持ち、その形態の多様性と美しい色彩に魅せられていた。その後、デジタルカメラの普及とともに、昆虫写真に傾倒し現在に至っている。撮影対象はチョウを中心に昆虫全般にわたり、地元のみならず、学会で訪れる国内、国外の土地々々で撮影を楽しんでいる。