2009年7月号(第55巻7号)

〇ある絵画展にゆかりがあり、岡山県備中高梁市に足を伸ばした。岡山に行くのは久しく十数年ぶりのこと。第44巻(1998)~45巻(1999)の表紙シリーズに素晴らしい風景写真とエッセイをご提供いただいた八幡義人先生に相談に伺うため、川崎医科大学をお尋ねしたとき以来である。当時の懐かしい思い出とともに岡山駅に到着し、そこから備中高梁駅は特急でおよそ30分、普通では小一時間のところにある。

〇さてここは、牛臥山(ぎゅうがさん)に屹立する備中松山城を中心に栄えた古い城下町である。鎌倉時代からおよそ750年の歴史を持ち、山間の町並みは風情豊かで備中の小京都とも呼ばれている。ご記憶の方もいらっしゃると思うが、映画「男はつらいよ」で寅さんの義弟・博の実家があるという設定で、ロケ地としては唯一、2度撮影が行われた場所でもある。残念ながらロケで使われた家は門を残し火事で全焼してしまったそうだが、丘に上がると眼下には落ち着きのある景色が広がり、そこに流れるゆるやかな時間、あたたかな人柄……は映画から写し取ったかのようにそのままに感じられた。
現地では遠縁の親戚が成羽町の自宅に招待してくれた。ここは河岸場として栄えた町で、ここから高瀬舟に積み込まれ、米・煙草・鉄・銅・弁柄(べんがら)が運ばれていったそうだ。ガラス戸をくぐり中に入るとすぐに梁の沢山入った壁が目に付いた。聞けば元々は米問屋で、壁沿いに俵を積み重ねた時に空気の流通を促すためにそのような造りになっているとのこと。商家に相応しく磨き上げられた高い床に這い上がると奥の間には大きな神棚、そして長い長い廊下と立派な老松のある庭に圧倒された。当時このあたりの諸問屋はえらく繁盛していたのに違いない。翌日、限られた時間の中で市内を案内して貰った。ここには映画「八つ墓村」のロケ地もあるそうで、「中にはここであの悲惨な事件が本当に起こったと思っている人もいて困ったものです」と笑っていらした。ロケ地は幕末から明治にかけて銅の採掘とその捨石から製造される弁柄で栄えた吹屋という集落で、今では重要伝統的建造物群保存地区になっているそうである。弁柄は酸化鉄を主成分としている赤色顔料で、その名は、奈良時代にインドのベンガルから輸入していたことに由来する。渋い赤色は、伊万里、九谷などの焼き物や、格子の塗料としても使われていた……。そうだ!!鳥取県衛生研究所で見学させていただいたあの赤い壁、と鮮やかなベンガラ色が脳裏に蘇った。
かねてより行ってみたかった地は期待以上の想い出を沢山残してくれた。思っていれば願いは叶うものというのは本当であった。

(大森圭子)