2009年6月号(第55巻6号)

〇すぐ隣の家の庭には梅の木があって、例年、梅の実をたくさん実らせる。ビロード仕立ての緑色の服を着た可愛らしい木の実達が、葉の脇に寄り添うように着いている様、コロンコロンと道のあちこちに転がっている様は愛おしく、毎年懐かしい光景である。

〇青梅は梅酒にするが、やや黄色っぽく梅の実が熟せば、梅干の漬けごろだそうである。ご存知のとおり梅干は、塩漬けにした梅の実を何度も日干しにして作る。それゆえ梅干という名がついているのだが、最近では梅を酢漬けにしたような梅干もあるという。特長の防腐効果もなく、梅干風味の梅の酢漬けがこの名を正々堂々と使っているのには感心しない。

〇中国では古来より、梅の花の美しさよりむしろ梅の実の薬効が珍重されていた。紀元前200年ほどの史跡の調査からも、この頃にはすでに漢方薬として梅干が使われていたことがわかっている。わが国には奈良時代に薬木として梅の木が渡来し、青梅の実を藁の火で丸ごと燻製にした烏梅(うばい)、実を割って乾燥させた剥梅(むきうめ)なども伝来して、熱さましや咳止めなどの薬用として、また烏梅は染料としても使われていたそうである。江戸時代になるとようやく家庭の常備食として梅干が食されるようになるが、正月の「食い積み」の神事や大晦日や節分の夜にいただく「福茶」に用いられるなど、縁起の良い食べ物としても大切に扱われる存在であった。梅干の薬効は科学的にも証明され、現代でも身近で優れた健康食品としての期待が高い。地方によっては古く、梅干が腐ると凶事が起こるとの言い伝えもあるそうで、それほどまでに梅干の長期貯蔵への信頼が強いものであり、また、漬け損じや保管の悪さから、家人の健康を守る大切な梅干を腐らせることのないように、という先人の教えであったに違いない。

〇「梅干の味 私は梅干の味を知っている。孤独が、貧乏が、病苦が梅干を味はせる。梅干がどんなにうまいものであるか、ありがたいものであるか。病苦に悩んで、貧乏に苦しんで、そして孤独に徹する時、梅干を全身全心で充分に味ふことが出来る。」これは俳人・種田山頭火の日記の一文である。行乞放浪の旅を繰り返し、度重なる乱酔の失態、挫折、自責を繰り返した山頭火が、全国各地を巡り其中庵に帰庵した後に書かれたものである。「朝のお茶受はどこでも梅干、たいへんよろしい、日本人は梅干のありがたさを味解しなければウソだ。」「梅干はまことに尊いものだった。日本人にとっては。」山頭火の日記には梅干が何度も登場する。いつも手に届くところにあり、辛いときほど心身に沁みる梅干の味。先達が培い残してくれた英知の有難さに気づかない自分にまた一つ反省を積んだ。

(大森圭子)