2008年2月号(第54巻2号)

〇旧暦で二月の異称を「如月(きさらぎ)」という。これは中国から来た名称であるが、日本では同じ読み方で語源を異にするものがいろいろとあり、「気更来」(陽気がやって来る)や「生更来」(草木が生える)、防寒のために着物をさらに重ねて着るところから「衣更着」あるいは「絹更着」と書いて「きさらぎ」と読ませることもある。また、「草木張り月」(草木が張り出す月)が転じて「きさらぎ」となったとする説もある。

何枚も重ね着をして寒さを凌いでいるのはこれまでと同じだが、2月の日差しにはどこかキラキラした輝きが混ざり始める。春を感じる喜びにわくわくして、厳しい寒さもどこか楽しく感じられる季節である。

〇2月8日は「ビスケットの日」だそうである。なぜこの日なのか不思議に思ったところ、ビスケットの語源はラテン語で「bis coctus(ビス・コクトゥス)」:二度焼かれたという意味であるそうで、二度の「2」、焼くの「8」の語呂あわせで、1988年に全国ビスケット協会がこの日を「ビスケットの日」に制定したのだそうだ。

日本におけるビスケットの最古の記録は、1855(安政2)年。長崎にて汽船製造に関する書物の入手とパンやビスケットの製法の調査を行っていた水戸藩の蘭方医・柴田方庵がオランダ商人からこれを学び、同藩の荻信之助に向けて「パン・ビスコイト製法書」を送ったのが初めである。パンやビスケットは、15世紀中頃からの大航海時代のなかで、ポルトガルから渡来したカステラ、金平糖、有平糖、ボーロ、タルトなどのいわゆる南蛮菓子として長崎周辺の外国人のなかでは長く食されていたようだ。しかし、正式な製法技術が海を超えたのはこれが最初であったのだろうか。

ビスケットというと甘いお茶菓子というイメージだが、もともとは2度焼いて水分を飛ばすことで、航海や戦地に携行できるようにした保存食であった。水戸藩でも、ビスケットの保存性と軽く携行しやすい点に着目し、軍用の糧食として考えていたようである。この頃のビスケットは今のものとは違い、パンを2度焼いてカラカラにしたものに近かったようである。

最近では軍用の携行食が「ミリメシ」(ミリタリー+飯の造語)と呼ばれ、流行しているという。どんなものか食べてみたい、というのが流行の発端のようだが、地震や新興感染症の蔓延に備えて、バランスの良い保存食を用意するためにも参考になりそうである。

(大森圭子)