2008年2月号(第54巻2号)

色紙に描く季節の草花

まんさく

春とは名のみで寒さがまだ厳しい2月、万花に先駆けて「まず咲く」というところから言葉がなまって「まんさく」になったという。日本固有の木で本州の山地どこにでも生えているというが、東京に出てきて公園に植えてあるのを見て初めて知った。黄色い奇妙な花弁が曲がりくねって実に面白い形で咲く。花の根元に真っ赤な萼があり、彩りを添えている。花びらが豊年満作踊りをしているようだと見て、「萬作」の名がついたともいう。

毎年、神代植物公園にはよく出かけるが、蝋梅が植えてあるすぐ近くに、まんさくがかなりたくさん集めて植えられており、満開になると壮観である。人出も多い。

そことは別に、家の近くに塚山公園があり、まんさくの木が一本あるのを見つけた。ここは、縄文時代の遺跡に昔の簡素な建物を再現して造り、その一帯を公園にしている。井の頭公園の池は、もともと武蔵野の湧き水のひとつで、それが流れて神田川となり、やがて両国で隅田川に合流する。井の頭公園から神田川に沿って約1km下ったあたりに塚山公園があり、この辺りは昔から小高い丘があり、川があり、人が住みやすいところだったと思われる。この絵はそこで描いたものである。枯れた葉がまだ落ちないで付いていた。

まんさくに初めて出会ったのは、秋の神代植物公園の事務所のあるほうの庭であった。黄や橙色に見事に色づいた紅葉が美しく、思わず見とれて色紙に描きとった。それを書斎の机の傍に掲げているのを弟が見て、「これは趣があっていいな」と言ってくれた。実は、塚山公園に一本だけある「まんさく」を見つけたのも、秋に紅葉の葉が目印となった。

数え直す実生蝋梅七輪なり

絵とエッセイ 藤本 吉秀

大正15年(昭和元年)生まれ。昭和の年号がそのまま年齢になった。

<職歴:内分泌外科医>
もと東京女子医大内分泌外科教授。1987~1989の2年間国際内分泌外科学会会長を務めた。
今は癌研有明病院、日本赤十字社医療センター、調布東山病院で甲状腺診療をしている。

<絵の略歴>
昭和59年、八丈島から贈られた黄色のシンピジウムがとても美しいので色紙に描いてから、季節の草花を色紙に描くのが趣味となった。平成10年、柏市で甲状腺外科検討会がひらかれた時、会場の近くの画廊で色紙の個展をした。
その後、松下黄沙(Group 82)について墨絵三昧。
2人展(平成14年)、12人展(平成16年)をはじめ、春、初夏、秋にそれぞれ各種グループ展に出展。

<運動>
ずっと以前のことになるが、学生時代、一高、東大を通してボートを漕ぎ、昭和24、25年8人で漕ぐエイトで連続全日本選手権制覇。

はじめの1年間は、「色紙に季節の草花を描く」をテーマにして出します。
次の1年間は、「墨画にのめりこんで」として、風景、植物、仏像など何でも取り上げて描きます。