2008年2月号(第54巻2号)

老残の夢

新潟大学名誉教授 屋形 稔

本誌裏表紙も620 号を超えたが、臨床検査の歴史と微細な推移を物語っているまことにユニークな頁といえよう。発足時編集に当った小酒井望さん(順大)はじめ錚々たる人々の識見と企画が優れており、歴代メンバーに継承されてその役割を果たしていると思われる。

永い間斯学に身を置き今や自身は老残の齢を重ねるのみであるが、思うとわが出身大学の環境も力を後押ししてくれたようである。大先輩に金井泉博士がおられ、時に臨み鼓舞して戴いた。先輩にノンさんこと石井暢さん(昭和大)がおられ斯学の先導役を果たしてくれた。永井龍夫さん(札医大)は札幌の地で細菌検査の芽を育てられた。

一年後輩になるが林康之さん(順大)は毒舌と情味で刺激を与えてくれ、清瀬闊さん(三井記念)は斯学の社会的応用に共に学びかつ遊んでくれた。大森昭三さん(東逓)は新潟県立病院検査室創設をふり出しに一貫して斯学に携わり、本誌編集者に愛娘というオマケまで遺した。

全国に先駆けて斯学講座を大学に設置したあとも秀れたスタッフや弟子に多数恵まれた。杉田収君(新潟看護大)は臨床化学の実用化に、岡田正彦君(新大)は検査の電算化に、実績をあげた。櫻井晃洋君(信州大)は内分泌、遺伝検査に新機軸を拓き、木村聡君(昭和大)は検査室運営のベテランに成長した。本誌数号前にエッセイを誌した山田俊幸君(自治大)はその中で“研究も他人にあきれられるくらいのこだわりが必要と思っている”と述べ頑張っている。

第一線を離れても私の願いは先輩からうけ継いだこの道を後進に正しく発展させて貰いたいという思いに他ならない。大分前に当時の本医学会々長だった櫻林郁之介さん(自治大)が「名誉会員に聴く」という会を催してくれたことがあった。私の先輩、同年輩者が集まって談じたこの一夜は忘れられない。この道は美空ひばりの歌う人生一路のように、“これが自分の生きる道”と観じたい、老残の夢もまた青春の夢に似て果てることはない。