2007年7月号(第53巻7号)

〇昨月の19日、本誌の初代編集人である大塚和彦さんが逝去された。享年84歳であった。本誌の創刊は1955年8月のことであるが、遡ること五十数年前、まだまだ情報が乏しかった時世に当社のプロパーとして活動を続けるなか、雑誌を創り、社会に情報を広めるために一役かったらどうだろう、という構想を大塚さんは持たれたのだと思う。ある日、訪問先の佐々木正五先生に相談をもちかけたことで、大塚さんの素描に本誌のあるべき姿としてのカラーが色づけられ、このような形で本誌を作ろうという話が具現化した。さらに創刊号発行年のうちに佐々木先生のご人選により錚々たるメンバーで初代の編集委員会が結成された。こうして、しっかりとした基盤が築かれ、確かな足取りで本誌が発刊を続ける運びとなった。(本年1月号に掲載した座談会記事「『モダンメディア』発刊時代の回顧」にも詳しく語られています)

〇本誌の創刊と同時期の1955年8月には、東京通信工業(現在のソニー(株))からトランジスタラジオが発売され、大ヒットしている。また、政治では自由民主党と日本社会党の二大政党制・55年体制が生まれた。山下清の「兵隊の位で言うと」という言葉が流行していたことからも、当時はまだ、戦後の影が貼り付くような時代であったことと思われるが、何より新しい時代にむけての躍動が強く感じられる時代である。沢山の仲間とともに本誌が元気な産声を上げられたことは非常に喜ばしい。

〇編集室にある本誌の創刊号の在庫はわずか2部。当時A5版の本誌は半分に折られ、定型封筒に入れて発送されていたらしい…… というのは、残っている本誌のどちらにも半分に折り目がついているからである。恐らく余分に刷る余裕もなく、どこかから返送されてきたものを保管してあるのに違いないのである。当時は良質の書籍用紙を使えるはずもなく、すでに褐色に変色してボロボロである。大塚さんが、亡くなる前のほんの数年を除き、創刊号がこのような姿になるまでずっと見守り、気づいたことがあればすぐにお電話をくださり、アドバイスを与え続けてくれたことに胸が熱くなる思いである。

大塚さん、長い間ありがとうございました。心からご冥福をお祈りします。

(大森圭子)