2007年6月号(第53巻6号)

〇6月になり連日の雨を覚悟していたところ、見当がはずれて梅雨明けのような晴天が続いている。関東・甲信越地方では今月14日に気象庁から「梅雨入り」の発表があったものの、その日~翌朝に限って大雨が降り、その後は梅雨の気配すら感じられない。衣服の濡れる鬱陶しさを思えば喜びたいところだが、昨冬から春にかけての降雨量の少なさから全国的な渇水傾向にあり、さらにこの梅雨にも大きな期待はできず、不安を感じるこの頃である。

〇1590年、徳川家康が江戸に入府するにあたり、城内や城下町に飲料水を供給できるように臣下に命じ、小石川上水を引かせたのが東京の水道の始まりである。のちに江戸の繁栄で水不足が深刻になると、玉川兄弟の努力によって多摩川・羽村から四谷大木戸までのおよそ43kmの玉川上水が造られた。1594年のことである。その後も本所、青山、三田、千川など、上水から分水するなどして水路が拡大され、農業用水や飲料水として多くの庶民に水が供給されるようになった。当時の水路は松やひのきなどの木や石で作られており、継手によって連結され、呼び桶と呼ばれる管のようなもので上水井戸(呼び桶から引かれた水が地下の大きな桶に溜まり、その上に底のない桶を何段も重ねて筒状にした井戸のような形。竿につけた釣瓶で水を汲み上げる様式)に水が引き込まれる仕組みになっていた。

井戸の周りでは幾度となく井戸端会議が開かれ、人と人との親睦が自ずと深められていたであろう。世間では、エコロジーの面からも水の無駄遣いをしないよう呼びかけが行われている。何世帯もの家族がひとつの井戸を大切に利用していた昔と違い、今では家の中に自由に水道を引き入れられる分、同じ水を皆で使っているという共同意識が持ちづらく、他人への気遣い、自然への感謝が薄くなっていることもあるだろうか。

(大森圭子)