2006年12月号(第52巻12号)

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〇西伊豆の松崎町に「長八美術館」という建物がある。ここでは江戸の左官として比類なき活躍を遂げた人物・入江長八(1815~1889)が残した、漆喰芸術・鏝(こて)絵の数々の作品を目にすることができる。

通称“伊豆の長八”は伊豆国松崎村明地の貧しい農家の長男に生まれた。幼き頃より聡明さと手先の器用さは近所でも評判であった。家族の生計をたてるために12歳で左官棟梁に弟子入りをするが、左官の技巧に絵の技術を取り入れたいと熱望し、19歳で江戸へ出て狩野派の絵師・喜多武清の下で修行を積んだ。

漆喰を使った左官の技巧では「なまこ壁(主に防火を目的として竹や土で何層にも重ねた壁に瓦を貼り、格子になった目地に漆喰を盛り上げてつないである壁)」が有名であるが、長八が開化させた漆喰芸術・鏝絵とは、下絵の上に漆喰を用い筆や鏝を使って立体的に図絵を形作り、または彫塑して、さらには色付けをして絵を描く技法である。

鏝絵は、不老長寿、家内安全、子孫繁栄などの願いを込めて、民家や土蔵の壁、あるいは室内装飾用に描かれたのだそうで、気がつくと人から魚から動物まで殆どのモチーフがペアで描かれている。しかし中には、暴れる大牛を繋いだ綱を下駄の歯で踏んづけ、不敵な笑みを浮かべる逞しい女性の鏝絵などもあり、思わず噴き出してしまった。長八は絵のどこかにユーモアを仕掛けることを好んでいたようである。

浮き出るような鏝絵はどれも鮮やかな色を保ち、またその陰影の加減によって様々な表情を持ち、生気すら感じられて時折背筋が寒くなるような思いをするほどであった。

そのあと、長八美術館から少し行ったところの「岩科学校」(明治13年築の小学校・重要文化財)へと足を伸ばした。昔客室として使われていた階上の部屋には、長八の描いた「千羽鶴」の鏝絵が残されていた。他に見学者がいないのを良いことに、タイムスリップして招かれた客のごとく長くこの座敷で寛いだ。障子からのやんわりとした明かりでうすぼんやりとしか見えないのだが、四方の壁に描かれた無数の鶴を見ていたら、一羽一羽に込められた願いの強さのせいであろうか、一心に羽ばたく鶴を描く生き生きとした長八の姿が心の目に映った。

長八の描いた鏝絵には人々の思い思いの願いが込められている。今年ももう残すところわずかとなってしまったが、願いはどこまで叶ったであろうか。もしも自分が長八であったなら、来年は心の中にどのような鏝絵を描くことだろう。

(大森圭子)