2006年11月号(第52巻11号)

〇「秋の夕日に照る山もみじ濃いも薄いも数ある中に松を彩る楓や蔦は・・・」でお馴染みの曲「もみじ」は明治44(1911)年に発表された『尋常小学校唱歌』である。作詞・作曲は、他に「春の小川」、「朧月夜」等、数々の名曲を誕生させた岡野貞一と高野辰之の名コンビである。この歌を聴くと夕日に照らされた真っ赤に燃えるような紅葉(もみじ)(“蛙手”に似ていることからその名が付いた“楓”)を思い浮かべてしまうが、「もみじ」とは本来、木々の葉が赤・黄・褐色などに色づく様を意味する言葉「もみつ」が転訛した言葉である。歌詞のなかでも「もみじ」とは別に、赤に色づく「楓」と黄色に色づく「蔦」の名が並んで登場することからも推して知るべしである。

秋山の木の葉を見ては 黄葉をば 取りてそしのふ 額田王(万葉集)

秋山の木の葉を眺め、黄色く色づいた葉を手に取ってその美しさを褒め称える、といった秋の素晴らしさを賞美したこの歌では、「黄葉」と書いて“もみつ”と読ませている。遣唐使をたびたび遣わせ中国文化を摂取しようとやっきになっていた奈良時代あたりまでは、中国の伝説の帝王「黄帝」の名にあやかって「黄」が尊い色とされていたため、黄色に色づく葉が“もみつ”の象徴とされていたようだ。その証拠に、万葉集には“もみつ”を称える歌が紅葉ではわずか5編であるのに対し、黄葉では百数十編も収載されている。しかし9世紀の中頃になって唐が衰微し、渡航の危険性からも遣唐使の派遣が取りやめられてからは、日本文化に唐の文化が融合され日本独自の文化が育まれていった。そしてわが国の最も美しい色として「紅」が「黄」に取って代わり、紅く色づく葉が“もみつ”の象徴とされるようになった。紅葉をもみじと読み、美しい赤い葉をつける楓が紅葉(もみじ)と呼ばれるようになったのもそのためである。

〇とりどりに色づいた葉も残念ながらどこか色褪せてきたような具合で、いよいよ秋の饗宴も終幕である。黄色い葉で着飾った背の高いポプラの木が一本。風の通り道になっているのか、一斉にひらひらと葉を揺らし、まるで幕が閉じる前のお別れにと精一杯手を振っているようである。

(大森圭子)