2006年11月号(第52巻11号)

様変わり

(独)医薬品医療機器総合機構 三瀬 勝利

厚生労働省が公表している「食中毒統計」によると、最近の食中毒患者数と事件数は、共に緩やかな減少傾向を示している。食中毒を起した病原物質別では、相変わらず微生物(細菌とウイルス)によるものが圧倒的に多く、化学物質、植物毒、動物毒の摂取によるものは少ない。平成17年の病原物質別の統計では、食中毒患者数の最も多いのがノロウイルスで、次いでサルモネラ、カンピロバクターの順になっている。こうした傾向はここ2~3年、ほとんど変わっていない。

かつては腸炎ビブリオ、黄色ブドウ球菌、サルモネラが食中毒の御三家といわれたが、食中毒の世界でも様変わりが起っている。特に十数年前までは、食中毒患者数や事件数で突出して多かった腸炎ビブリオ食中毒の減少が目立っている。減少した理由としては、微生物学や食品衛生学の進歩と共に、それらの知識が一般市民に普及したことが挙げられる。本誌もまた、知識の普及に大きな貢献があり、それは誇ってよいはずである。

腸炎ビブリオという名前は、国立予防衛生研究所(現・国立感染症研究所)の所長を務められた故・福見秀雄先生が命名されたものである。それまでは病原性好塩菌という殺風景な仮称が与えられていたが、実に簡明で的確な名前を付けられたものである。先生は青少年時代から、おびただしい数の書物を読破されていたが、そうした教養が菌の命名にも反映されている。

福見先生は良識的な自由人であり、反骨の人でもあったが、機嫌が悪いと間歇的に、秘書さんや私を含む弟子どもを怒鳴りつけられていた。先生の怒鳴り声にはホモ・サピエンスのものとは思えない迫力があったが、今となっては懐かしい。ある時は怒りのあまり、ガラス製のピペットタワーを蹴飛ばされ、大破させてしまったこともあった。

腸炎ビブリオ食中毒の減少は嬉しいことだが、それに比例するかのように、巷の話題になることが少なくなっている。いささか寂しいところもある。あの世の福見先生は現世の成り行きをどう眺めておられるのだろうか。伺いたいところであるが、怒鳴ることと、ピペットタワーを蹴飛ばすことに忙しく『俗世の腸炎ビブリオ食中毒の盛衰などには興味がない』といわれるのが落ちかも知れない。