2006年9月号(第52巻9号)

〇今年は梅雨が長引いたせいか、振り返ると夏らしい日は数えるほどであったように思う。夏生まれのせいか一年は夏を中心に回っているように思えるのだが、今年は余りにあっけなく夏が過ぎ金風に吹かれてもいまだしの感を覚える。早くも秋雨で晩秋のように気温が下がる日も多く、傘の裾から舞い込む霧雨が半袖の腕に冷たく感じるこの頃である。

〇様々な世代が集う昼食の時間には時折、学校給食に関する話題になることがある。話してみると世代・地域での違いがあり興味深い。お盆の有・無、食器の材質(アルマイト・ポリプロピレン)、道具の種類(先割れスプーン・丸スプーン・はし)、献立(脱脂粉乳・牛乳・コーヒー味の粉末、トマトシチュー、鯨肉の竜田揚げ、カレー、ソフト麺…)などなど例を挙げるときりがなく、夫々の歴史を写す鏡のようでもある。

〇学校給食は、明治22年、山形県の小学校で貧困児童を対象におにぎり、焼き魚、漬物などの昼食が供されたことが始まりとされている。児童全員を対象としたものでは大正10年、岐阜県の小学校で冬季に亘り味噌汁を与えたことが記録されており、これにより病弱児童や病人が減ったことや、平等に食事が与えられることで周囲に気兼ねして弁当を隠して食べる必要がなくなり、児童が顔を上げて快活に食事をするようになったことが当時の新聞記事に残されている。学生時代の遠い記憶ではあるが、蓋を立て弁当を隠すように食べている学友がちらほら居たように思うが、どこかコミカルな感じがしたものの、本来、貧困さから平等が叶わなかった時代の習慣であることを知り切なさを覚えた。我々の時代は食料には恵まれていたように思うので、どこかぎこちない手作り弁当のあたたかさが照れくさかったのだろうか。

〇大正時代から児童の栄養改善を目的として次々に学校給食が展開され、戦争中は一旦活動が停止するが、昭和22年にはアメリカの慈善組織からの配給により脱脂粉乳による給食が開始され、昭和27年には全ての小学校を対象に完全給食が実施された。次第にわが国も豊かになり、「学校給食法」が成立した昭和29年からは、食事についての正しい理解と食習慣を養うなど、栄養改善のほかに学校教育を目的として学校給食が実施されるようになった。各家庭で年中行事が行われなくなった昨今では伝統食・郷土食が供されるなど、これからも時代の変遷とともに学校給食のあり方、内容が変わっていくことであろう。

(大森圭子)