2006年8月号(第52巻8号)

〇東京は神田神保町に「K庵」という蕎麦屋があり、ここが気に入って電車を乗り継ぎたびたび足を運んでいる。いつもお世話になる接客チームの接待も長い付き合いの友人のようにほどよく居心地がいいのでいつもお客で混み合っている。ここでは越後の美味しい料理や地酒、そして小千谷名物の「へぎそば」を食することができる。

「へぎそば」とは、海藻を混ぜ込んだ蕎麦のことである。「へぎそば」の発祥の地である小千谷市は小千谷縮の織物で有名だが、そばにつなぎとして入れる海藻の「布海苔(ふのり)」は、「布」という文字からもたやすく関連づけられるように、本来着物の洗い張りなどで使用されるものである。蕎麦を作るときにこの布海苔があやまって入ってしまったことをこの蕎麦の由来とする説もあるが、こしの良さを求めて意図的に入れたとする説もあり定かでない。「へぎそば」の「へぎ」は「剥ぎ」を語源とし、「剥ぎ板」で作られた器のことで、へぎそばが「へぎ」に盛りつけて供されることからこの名前がついている。昔から蕎麦は冠婚葬祭の場面で振舞われることが多いため、持ち運びや着衣の汚れ防止などの面からこのへぎが便利に使われたのだそうだ。

この頃では広義に解釈され、器に関係なく海藻入りの蕎麦は皆へぎそばと呼ばれるようであるが、この店では伝統を守りへぎに美しく盛りつけられた蕎麦が登場する。水から上げられたばかりの海藻入りの蕎麦はどこかつややかな翡翠に髣髴としている。ひと口で食べられる量の蕎麦が「つ」の形(に私には見える)にまとめられ、大きなへぎの上に整列している。その姿は(やや大げさではあるが)清冽な浅瀬を思わせる。ひとつひとつ手ぎわよく蕎麦をへぎに盛り込む際の手の動きが「手振り」とよばれることから、手振りそばとも呼ばれるそうである。

いつもお世話になるOさんに無理を言い、「そばの栄養学」なる紙片をコピーしてもらった。それによればそばは穀物の中でも栄養のバランスがよく、タンパク質、ビタミンB1、B2、ルチン、コリンが多く含まれ、動脈硬化や高血圧の予防、肝機能を高めるなど美容や健康にとても良い食品であるとのこと。こう蒸し暑いと食欲も失せがちだが、このようなときはつるつると喉ごしの良い蕎麦がお薦めである。

(大森圭子)