2006年8月号(第52巻8号)

S技師長

山梨大学医学部医学工学総合研究部 臨床検査医学 尾崎 由基男

今から20年ほど前、私は高知県に内地留学をしており、昼は医学研究に、夜は地元伝統文化(高知県は酔鯨公にちなみ、外での飲食代は全国1位である)の研究にいそしんでいた。1年半程度の高知滞在の後、前教授の命令で泣く泣く山梨医大に来たものの、夜の研究を忘れないよう心がけ、甲府駅付近の裏春日通りなどに検査部の皆とよくフィールドワークに出かけていた。バブルの終わりの頃、若き良き日々であった。

そのようなある日、一人の技師が一枚のコピーを持ってきた。なんと当大学検査部のH技師長が臨床検査関連の全国的な雑誌に「高知より来たO助教授」の武勇伝を書いたというのである。「O助教授」ではあまりに分かりやすいので、「A助教授」として欲しかったのだが、時はすでに遅い。私は全国的な有名人となり、それからは学会で各地に行くと、武勇伝の話の真相を確かめられた。このエピソードには当検査部のO技師やN技師も絡んでいたので、私の無実は証明されたのであるが、これによって私には「好き者」の烙印が押され、本当は堅物の私には大変な迷惑になったのである。

いつか仕返しをしてやろうと思っていたのだが、血栓や血小板など専門領域の執筆依頼ばかりで、好きな内容で文章を書く機会に恵まれなかった。今回このような機会を与えてくれたモダンメディアには心より感謝したい。最高の復讐の機会ではあるが、私は紳士であるので、だれでも分かるH技師長とは書かず彼の名前のイニシアルを使ってS技師長とし、また大学名も分からないように書こうと思う。

「甲信越地方のある大学のS技師長は本当に酒飲みで、50半ばの年齢に達した今も、時々朝、酒臭いのである。前日に一緒に飲んでいる仲間達は何ともないので、摩訶不思議な現象であるが、最近この理由が解明された。なんとS技師長は皆と別れ家に帰ってから、奥様の顔を見るとまた酒が飲みたくなり、夜更けまで飲むのだそうだ。常人と全く反対の行動パターンであり、いつか脳のMRIでも見てみたいと技師達は噂している。」

S技師長には武勇伝も多くあって、全部書くにはこの随筆欄の10倍程度のスペースが必要なのだが、聞くところによるとO教授も時々絡んでおり、あまり赤裸々に書くことを望まれておられないそうである。S技師長がだれかお分かりになった方は彼に直接尋ねていただきたい。