2006年3月号(第52巻3号)

〇桃の節句も過ぎ、世間はめっきり春らしくなった。厚手のコートやマフラーはまだ手放せず、冬と春とがせめぎあうような不安定な気候に翻弄されながらも、決まりきった勝敗がつくのを心待ちにする毎日である。

〇あるどしゃぶりの寒い休日、港区白金にある松岡美術館へと足を運んだ。ここは一世を風靡した「シロガネーゼ」の生息地。風が吹けばおちょこになるのが宿命といわんばかりのへぼ傘をさし、雨に濡れても平然としていられる着古したコート姿の人影は私のほかには見当たらない。

美術館はちょうど東京大学医科学研究所から徒歩で数分入ったところに位置している。創立者・松岡清次郎の私邸跡地に建てられたという松岡美術館は、品が良くリッチな土地柄を象徴するように落ち着いたたたずまい。古代模様の彫刻が施された自動ドアが背中ですっかり閉ざされると外の雨の音はピタリと止み、静寂な空間が広がる。古代オリエント美術、現代彫刻、ガンダーラ・インド彫刻の部屋へと足をすすめ、数え切れないほどのエジプトの出土品、ガンダーラ石像彫刻、中国の陶磁器など、世界各国の多種多様な美術品をできるだけ多く頭に詰め込むように見ると、その後は日本画を展示している部屋へ。この時期だけの展覧会は「美人画展」。上村松園、鏑木清方、伊藤深水、池田輝方・蕉園夫妻ほか、江戸~昭和に活躍したわが国を代表する日本画家によって描かれた美人画の数々が展示されている。男性に限らず女性とて美人は大好きである。ここはじっくり楽しみたい。西の松園、東の清方とも言われるそうだが、松園の「春宵」、清方の「春の海」など、活き活きとした名画の数々がその美しさを競い合うように飾られている。私にとって初めての本物に接する幸せにひたりながら、遊女達の内緒話に耳を澄ませるように、波打ち際で戯れる清楚な女性の袂を揺らす風の柔らかさを感じとれるように、見ているこちらも全神経を研ぎ澄ませて堪能する。帰り際、ミュージアムのショップで美人画の絵葉書を数枚買って帰った。暫くして家で片付けをしていた折、見たことの無い鏑木清方の美人画の絵葉書数枚を発見した。未確認であるが、母もまた美人画に魅せられ、絵葉書にあやかりたいとこっそり願ったのだろうか。

(大森圭子)