2005年10月号(第51巻10号)

〇空気が澄んでビルや木々の輪郭がくっきりと浮かび上がる秋。頭も心もスカッと冴えて何をするにも良い季節である。しかし秋の夜長にあまり欲張りすぎると,いざ寝ようとしても頭が冴え,なかなか寝付けないことがある。横になるとぱちんと目が閉じるお眠り人形のような私ですら眠りに苦しむ夜もあり,ようやく寝つけても眠りが浅くいやな夢を見てしまうこともある。つい先だっても障害に阻まれ,編集会議に辿りつけない夢を見て思いきりうなされた。聞いた話では,若い頃には想像力豊かな夢を見るが,歳をとると現実的な夢を見るそうだ。反論の余地が無い。

〇「夢」という字を辞書でひくと,暗いという意味の「」と「夕」とから成り,「あきらかでない」,「眠っている間にみる幻像」,「はかないもの」…という意味だと書いてある。唐代の伝奇「枕中記」では,科挙(官史登用試験)に落第した盧生という青年が,邯鄲という都の宿で仙人の呂翁より不可思議な枕を借りて寝たところ,青年の意のままに栄華をつくす長き一生の夢を見る。しかし,目覚めるとそれは宿の主人が粟を煮たたせるほんの僅かの間であったという筋で,人の世の栄華がはかないことを語っている。一方,芥川龍之介の小説「杜子春」もまた同じ唐代の伝奇「杜子春伝」を骨子とした作品である。杜子春という青年が,仙人の力で何度となく栄枯盛衰を経験し,終いには厭世観から仙人になろうとして失敗するのだが,栄華のはかなさを悟り苦難を乗り超えた杜子春は,「では,これから後,何になったら好いと思うな」という仙人の問いかけに対し「何になっても,人間らしい,正直な暮しをするつもりです。」と晴れ晴れとした調子で語り,仙人の畑を譲り受けることになるところで締めくくられている。これらの話からすれば,この世で最もはかない夢とは,どうやら人間の栄華の夢のようである。

〇東北の「ねぶた」祭りは,「眠(ねぶ)たい」という言葉に由来しているそうだ。収穫の秋を前に労働の敵となる睡魔を祭りで追い払うのである。秋の夜長を楽しむのも良いが,睡眠不足は禁物。そろそろ「年末」という言葉もちらほら。眠気を払って頑張らなければなるまい。

(大森圭子)