2005年7月号(第51巻7号)

〇先日,思い切ってここ数年ぶりに歯科に足を運んだ。特有のあの音と匂いが苦手なのでそう足繁く通っているわけではないが,近所の歯科医はいつも感じが良い。明るすぎる蛍光灯に面食らいながらも診療室へ入り,席に着くと,「久しぶりなのでレントゲン写真を撮りましょう」と言う。ここまでは予想通りの展開なので,おとなしく撮影してもらい席に戻ると,なんと今撮ったばかりの写真が目の前の液晶画面に映し出されている。はて,私の常識では,写真がベカベカと音を立てながら到着するのを退屈に待つものであったが…。なんだか浦島太郎のような気分になった。私の気持ちが手に取るように分かるのか,はたまたハナからこの反応を期待して写真を撮ったのかは分からぬが,歯科医師殿の瞳が大変得意げであったのは確かである。

〇歴史的な書物や絵には,初老を迎えた人々が歯槽膿漏で悩まされていた様子が多く残されている。今のように行き届いた手入れはできないのであるから,それも当然のことである。そんなわけで入れ歯の歴史は思いのほか古い。現存する最古の入れ歯は,和歌山県・成願寺の尼僧佛姫(1538年没)のもので,木製の総入れ歯である。また,14歳で三代将軍家光の小姓としてあがり,後の4代目将軍家綱の兵法師範となった柳生飛騨守宗冬(1613?~1675)の木製の総入れ歯も残っている。宗冬の入れ歯は黄楊と蝋石で作られているが,どちらも曲げに強い性質があるため,入れ歯用として利用されていたらしい。

木製の総入れ歯は,仏像制作の木彫りの技法を活かして作られたそうで,驚くことに現在の総入れ歯とほぼ同形である。後に仏像制作が衰える頃には,仏師は入れ歯作りで生計をたてていたのではないかとも考えられている。

昔どこかの博物館で木製入れ歯を見て驚いたことがあるが,あれは誰のものであったか。
何百年も後に,ガラスの陳列棚に並べられようとは夢にも思わなかったろうに。

(大森圭子)