2005年5月号(第51巻5号)

〇数年前に本誌の表紙を美しい植物画で飾ってくださった小宮和加子先生の個展が開かれ,ある土曜日に事務局のメンバーで訪問した。耳を近づけると草花の囁きが聞こえてきそうなほど,繊細で可憐な画風は相変わらずである。壁一面に飾られた絵は,其々にこれ以上の相性はないと思われる額に守られ,その魅力を十二分に発揮していた。最近,注力されているという苔の絵はとくに緻密で,皆,鼻先を近づけ自ずと息を詰めて鑑賞していた。

〇その帰り道,随分と思い切って鎌倉・江ノ島まで足を伸ばした。江ノ島に着いてみると,島の至る所にいる猫の多さに驚かされた。聞けば江ノ島は“猫の島“とも呼ばれるほど猫の多いことで有名,ここで生活をする猫目当てに島を訪れる客も多いそうだ。

家猫の祖先は,現在でも棲息している“リビアヤマネコ”という野生の猫である。初めはナイル川付近の原住民が狩猟の場で猟犬のように使っていたものを,後にエジプト人が鼠害の対策として家畜として馴致し,今の家猫の形に仕上げたそうである。紀元前2500年頃のエジプトの第5王朝時代には既に首輪をつけた猫の絵が残されていることから,家猫の歴史はかなりのものであることが分かる。

一方,日本では奈良時代の渡来以来,猫にまつわる伝説が多く残されている。平安前期に作られた日本最古の説話集『日本霊異記』には,死人が猫に姿を変え息子の家で生活をするという話,江戸後期には鍋島騒動に係わる怪猫の話が作られるなど,猫を擬人化したストーリーも多い。恐らく,時折垣間見られる野生や猫特有の神秘的な雰囲気によるものであろう。「猫かぶり」,「借りてきた猫」といった言葉にも猫の多面性が反映されている。

夏目漱石の小説『我輩は猫である』の冒頭に,初めて人間の顔を見た猫が「第一毛を以て装飾されべき筈の顔がつるつるしてまるで薬罐だ。」と感想を述べる一説がある。江ノ島を訪れた私たちの顔も,ひょっとして大小様々の薬罐に見えていたのかもしれない。猫の態度には時代や人の心を見透かしているようなところがあり,本来の姿を隠して人間を手玉にとっているようにも見えるから不思議である。

(大森圭子)