2005年3月号(第51巻3号)

〇春分の日を中日として一週間が春の彼岸である。暑さ寒さも彼岸までというように,本来であればいよいよ本格的な春の到来というわけだが, 実際には春まだ浅く,ようやく冬が重い腰をあげたかという状況である。「毎年よ彼岸の入りに寒いのは」という正岡子規の句があるそうだが,この句には「(子規の)母の口から思わず出た言葉がおのずと句になっていた」という詞書が附されているそうである。親子のほのぼのとした会話のなかで偶然飛びだした秀句がなんともいえずほほえましい。

〇お彼岸にお墓参りにいかれる方も多いことと思う。お彼岸には先祖に「おはぎ」をお供えする風習があるのは,先祖への感謝と豊作を祈る気持ちからである。丸い形は先祖の喉をとおりやすいように,餡や黄粉をまぶすのは先祖に少しでも美味しいものをという気遣いだそうで,先祖や神々を崇める心の産物でもある。ところで「おはぎ」と「ぼたもち」はどう違うのか。「おはぎ」は宮中の女性が黄粉をまぶした姿を萩の花に例え「萩の餅」などと上品に呼んでいたものが,庶民では呼びやすく「お萩」と呼ばれるようになったという説,「ぼたもち」は赤小豆をまぶした姿が牡丹の花に似ていることから「牡丹餅」となったとする説や,米が貴重品であった時代,この日のために大切に取っておいた貴重な屑米でお供えを作る,この屑米が「ボタ米」と呼ばれていたことを理由とする説などもある。また,春から初夏に作るのが「ぼたもち」,秋に作るのが「おはぎ」と呼ぶ季節的区分もあるようだ。いづれにしても両者の味や姿形に大きな違いはないようである。現在では簡単にコンビニで手に入ってしまうおはぎだが,昔は家庭で手作りするのが普通であった。ひとつひとつ丁寧におはぎを握る楽しい想い出やほっくりとした美味しさは手作りでなければ決して味わえない。まだほんのりとあたたかいようなおはぎを近隣に配って懇親を深め合う意味もまた大きかったように思う。よちよち歩きの季節のぎこちない暖かさ同様,手作りおはぎのぎこちないぬくもりが恋しいような花冷えの日々である。

(大森圭子)