2005年3月号(第51巻3号)

「海馬の中の記憶のフォルダと “Jack and Betty” : 私の還暦」

鹿児島大学医歯学総合研究科 血管代謝病態解析学 丸山 征郎

還暦の私に、宮崎の田舎の中学校から還暦記念同窓会の案内が来た。行ってみるともう50年近い前の顔を前に、しばらくは顔や名を同定できなかった。しかし目の前の白髪、人生の労苦の刻まれた顔は、そのうち次第にプロトタイプの像を現してきた。ゆっくりと、海馬の奥深くに、いつ使うともしれないままそっと保存されていた私の脳神経細胞のファイルフォルダが解けてきて、あの少年、少女達の顔が、眼前に現れてきたのである。

中学に入ると、早速、“Jack and Betty”の教科書で、英語の授業が始まった。新クラスメート、ジャックと ベティの家庭は典型的なアメリカの中産階級で、それでも家には冷蔵庫、車があった。彼らの日常は、まさしく海の向こうのまだ見ぬ憧れの世界の話であった。私は英語の筆記体で教科書という教科書、持ち物の全てに自分の名前を記した。

このころの少年の肉体的、精神的発達は急峻である。私はそれから鹿児島の男子校に入学した。そこでは古典の授業も開始された。鴨長明の方丈記の出だし「ゆく川の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。...」はこのころの少年の心にも響き、みんな口ずさんでいた。徒然草も、枕草子も勉強した。驚くことに、それらの一節の意味を、その後何十年かして、突然実感することがある。「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」、私は山形の山寺に建つこの句碑の前で、ドーキンスのいう“われわれは遺伝子の乗り物に過ぎない。必死で異性を求めて、自分のDNAのコピーを残したら生を終えるのである”というドグマと、新たに発見された死の様式:アポトーシス(プログラム化された死)の意味を実感した。

あれから数十年、悲喜こもごも、さまざまな記憶が 私の海馬にそっとしまわれている。
そのうちのほんのいくつかしか、今後私の意識上に は2度と蘇ってこないかもしれない。

同窓会は、海馬再活性化の行事でもあり、懐かしさこの上ない。耳を澄ますと、遠くに、そしてかすかに響いてくる青春の祭り太鼓の響きでもある。