2005年2月号(第51巻2号)

〇長い冬が間もなく終わるこの季節には,逆さまの線香花火のようにか細い木々の枝にも新しい力がみなぎっているのを感じる。鳥たちは膨らんだ羽根の中に,我々人間はコートの鎧の下に新しいエネルギーを蓄えて,やがて春の訪れとともに伸びやかな毎日を過ごせることを願っている。冬も大詰めといった感じで止めを刺すように厳しく冷え込む日も少なくはないが,桃の節句が近いこともあって街なかの桃色の配色に暖をとり,近づく春を心待ちにするこの頃である。

〇冬の風物詩のひとつに「焼き芋」がある。「焼き芋」には「石焼芋」,「つぼ焼き芋」などという呼び名があり,明治時代には「書生さんの羊羹」とも呼ばれていたそうである。また,栗(九里)より(四里)うまいとかけて「十三里」という呼び方や,栗(九里)のうまさには迫るが少々勝てないとも謙遜して「八里半」などとも呼ばれていた。

焼き芋の材料である薩摩芋は1605年に中国より琉球に渡来し,日本各地へと広がった。関東では 1735年に青木昆陽が飢饉を救うために薩摩から種芋を得て小石川養生所に植えたことが始まりである。初めは「大ふかし」といって蒸して食べるのが主流だったようだが,江戸時代には江戸の町々に設けられていた木戸口の番人「番太郎」が焼き芋を売るようになり,庶民の人気を得た。明治時代になるとさらに大流行して,焼き芋屋の店舗が軒を連ねるといった光景もみられたようである。なかには海苔や柚子をかけた変わり焼き芋も売られていたそうで,想像する限りではこれはなかなかいけそうである。

1891年に「甘藷焼場規則」ができて火気の取締りが厳しくなったことから焼き芋屋の店舗は激減,その後は屋台へと姿を変えていったようで, 焼き芋ひとつとっても何百年という栄枯盛衰の歴史があるものである。屋台といえば,昔は「いしやぁ~きいもぉ~おいも」などと名調子でリヤカーをひいてのそりのそりと登場したものだが,今は名調子のテープをぐるぐる流しながら車で街中を回っている。運良く止まっている車に出くわすか,すぐに財布を手にとり外へ出なければ決して間に合わない。運悪く慌てて足の小指を箪笥の角でぶつけなどしていたらきっとどこかに行っている早さで,掛け声に冬の風情など味わっているヒマはないのである。

(大森圭子)